「ボーカロイドの歪み」についての所見

先日とりとめもなく、こんなツイートをしたところ、ほどほどに拡散されてました。ありがとうございます。このnoteは、このツイートの内容を敷衍した、とりとめのない散文です。興味があったらスクロールしてね。

本題とまったく関係ないですが、ツイートをnoteに貼りつけると、返信先もあわせて表示してくれる仕様なんですね。必要なときは、自分で貼ればいいので必要ないと思うんですが。どうなのでしょう。なお、このnoteでいう「ボカロシーン」とは、ニコニコ動画を舞台とした日本のボカロシーンを意味しています。ご承知おきください。

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さて本題です。ボカロシーンには、ボカロリスナーの嗜好性によって生みだされる「ボーカロイドの歪み」が存在する。よくも悪くもボカロ曲は、純音楽的に評価されるわけではなく、あくまでリスナーの嗜好性によって評価されてゆくわけです。これはもうどうしよもないことですね。一人一人のボカロリスナーが、ボカロにそれぞれの愛着を抱き、各自のこだわりや流儀でボカロ曲を聴いている。それらの意志の総体としてたちあらわれてくる「ボカロシーン」というものが、一般音楽の尺度とは歪んだものになるのは、自然なことでしょう(もっともJPOPにはJPOPなりの歪みが、邦楽ロックには邦楽ロックなりの歪みがあるはずですが、もってまわった面倒な議論をしたいわけではないので、すっとばします)。しかし、ボカロ楽曲に数字というかたちで下される評価は、決して純音楽的な優劣を意味するものではない。このことは声を大にして強調しておきたい。なんとなれば、ボカロリスナーの困ったちゃんの中には、数字の優劣がそのまま楽曲の優劣を意味すると考えるむきも、動画のコメントや掲示板などを見ていると、まれに散見されますので。

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さて、この「ボーカロイドの歪み」が存在するのは、もうどうしよもないことだとして。ここはひとつ、この「歪み」の存在する意味を、あえて肯定的に考えてみましょう。

①「歪み」は、ボカロ音楽の個性である。

それはそうでしょう。ボカロ音楽の評価尺度が、一般音楽のそれとまったく同じだったのならば、ボカロシーンの個性などは存在しないことになり、ひいてはシーンの存立基盤そのものがつきくずされかねない。ボカロがボカロとして、邦楽シーンのなかで尖った存在としてありつづけているのは、「歪み」が存在するからである。ここらへんの話は、以前ブロマガに書いた「偏見」についての議論とも隣接しそうですね。よかったら参照してください。

いま見かえしても、なかなかよい選曲のよい記事です。

②「歪み」を利用すれば、誰でも有名になれる。

ただし才能と意志があれば、という大きな括弧をつけねばなりませんが。邦楽シーンのトップランナーにまで登りつめた米津玄師は、例としてだすには、あまりにも希有な存在ですけれど。最近ではn-bunaが率いるヨルシカの活躍もめざましいものがあるようです。須田景凪(バルーン)にも期待してますよ。どういうことかというと、ボカロシーンの「歪み」を上手く利用してやれば、その頂点クラスまでロッククライミングのように短距離で登りつめれることができるし、それを足がかりにして邦楽シーンで勝負するための切符ぐらいは手に入るということです。それも一定数のファンをかかえたアドバンテージつきで。どうでしょう。ボカロシーンでは、ボカロを「踏み台」にしてやろうという、野心ある優秀なクリエイターをお待ちしています。ただし「歪み」と向きあわねばならないという面倒さはありますが。

ちなみに数字的なランキング上のボカロシーン(「ヒット曲シーン」とでも呼びましょうか)の動向を観測したいのであれば、いまなら週刊VOCALOIDマイリストランキングがおすすめです。

もっともいま人気の傾向に棹をさしたところで、すぐに飽和して飽きられるものなので、なかなか難しいところですね。むしろ古典とされている名曲を参照した方がいいかもしれません。それなら、ボカロ有名曲のアーカイブとして、ぼからんまとめをおすすめするしかないですね。なぜか埋め込みできなかったので、リンクだけ。

https://vocaran.jpn.org/

でもまあ難しく考えずに、その気があるなら、投稿しながら悪戦苦闘するのもいいでしょう。意のままにならない、なりえないものと向きあうことも、それはそれでひいては力量になることでしょう。

③「歪み」は、シェルターである。

僕の持論です。上記のヒット曲シーンの周縁には、広大な「マイナーボカロ(シーン)」が広がっています。どこまでをヒット曲ととるかにもよりますが、日々投稿される楽曲数だけで言えば、感覚的には1:50ぐらいの差があると思います。ただし総再生数で言えば、逆に50:1になりかねません。あべこべで面白いですね。音楽的にはどんなに素晴らしい楽曲を作っても、うまく「歪み」に乗っかることができなければ、4桁再生どまりということも十分に考えられます。いやむしろ、それが普通です。ではこの「マイナーボカロ」は、ヒット曲シーンとはまったく別ものとして存在しているのでしょうか。僕はそうは思いません。ヒット曲シーンがあるからこそ、そこが外部からの「ボカロへの偏見」を引きうけているからこそ、より自由な音楽の理想境としてのマイナーボカロが存在する。というのが、このシェルター仮説なのですが、なかなか説得力のある説明ができないですね。なんかすみません。またの機会があれば、また語りたいです。

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さて、以上はどうしよもなく存在する「ボーカロイドの歪み」についての、肯定的な視点からの見解でした。個人の力ではどうしよもないものならば、できるだけ肯定してやった方が、自分の精神も、健康的・衛生的に保てるというものでしょう。実際、なんでこんな素晴らしい楽曲を投稿している、素晴らしい創作者が評価されないのかと、悶々としたところでつまらないですし。とはいえ、「歪み」を無批判に放任していたならば、やがては自家撞着をおこしてシーンがゆきづまることも考えられます。マイナーボカロを愛聴しているならば、より多数派のライトリスナーに対して、押しつけにならない範囲での提案はあっていいでしょう。もっとも問題は、それをどうやって届けるかという方法論なのでしょうが。かくいう自分は、こんな新曲紹介サイトをやってます。

たとえば、ボカロは10万再生あたりから聴いてるよというリスナーがいていいように、ボカロは「Early VOCALOID」で紹介されてるのを聴いているよというリスナーがいてもいいでしょう。つきあってみませんか。

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思った通り、とりとめのない散文になりました。まとまっているんだか。いないのかも、よく分からない体たらくですが、それもいいでしょう。ここまでスクロールしていただき、ありがとうございました。せっかくなのでおすすめの新曲を貼っておきます。

わっこさんというボカロPさん。これで処女作とは、すごいですね。未知の音楽との、思いがけない出会いがある。その創作者の成長を見まもることができる。ボカロリスナーの嗜みですね。それではまた。

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