短編小説 指を挿れてみた

 それは月の綺麗な晩でした。

 同僚のアケミちゃんを車で送る帰り道、ふいに魔が差して、指を挿れてみました。そうしたら今まで月日を重ねて、つちかった僕と彼女の分厚い友情に、人差し指ひとつ分の穴が空いて、そこからパリパリと歪な亀裂が入りました。
 地声の低いアケミちゃんが発する甲高いファルセット。それが妙に耳についちゃって、こんな声も出すんだななんてぼんやり考えながら、ことに及ぶ夢うつつな夜。通販で買った器具で腹筋を鍛えたアケミちゃんの腹式呼吸が、車の窓を曇らせます。

 車を家と呼ぶ可哀想な人も世の中にはごまんといますが、広い車って案外なんでもできちゃう簡易的な家なのかもしれません。結局、バリューセットをフルコースで楽しみたくなって、ドライブスルーよろしく、簡単な人生を六畳一間の下宿先にテイクアウト。着痩せする彼女はさながらエルエルセット、こう見えて脱げば凄いんです。

 これで付き合い結婚したかと訊かれれば、答えはノーで、次の日にはけろりと良き友人に戻ります。お互いまるでなかったかのように、そのことについては触れないわけです。

 でもでも不意にふたりのとき、見つめあっちゃったりなんかすると、アケミちゃんは『チューして』と云わんばかりに、目を閉じるようになっちゃいました。こうして月に一度か、週に一度か、二日に一度、なし崩しに肌を重ねるのが習慣化していきます。

 これを巷ではセフレと呼びます。ガキンチョのころは、セックスフレンドという言葉を、セックスするための友人なのだと思っていた時期が僕にもありましたが、ここにきてセックスもしちゃう友達こそが真のセックスフレンドだわー。と、今更ながらに気づきました。僕もアケミちゃんも性欲が特別強いわけでもなく、寂しいわけでもなく、僕はただただ日常会話をするように、ブラジャーのホックを外すわけです。

 そもそもセックスとは何なのか。慣れとは恐ろしいもので、愛などなく、興奮も薄れ、子供を作りたいわけでもない。では僕たちはいったい何がしたいのか。これは持論なのですがセックスとは契約です。結婚相手のことをパートナーなんて呼んだりしますが、まさしく男女のパートナーシップを確立する儀式のように思っております。
 例えば僕たちが子供のころ、他人の唾液は汚いものだと教えられて生きてきました。他人の粘膜から分泌する体液全てを、汚いと認識してきました。
 その価値観を無視する本能と繋がる粘膜。そうやって人はお互いの汚さを赦し合い、はじめてわかり合える生き物なのです。
 本来結婚相手とだけすることがらなのですが、自動販売機で愛さえも買える時代が目前に迫った平成の終わり、激安に目がない貧乏暇なしの僕らが選んだのは、こんなエコノミーでお安い関係なので笑っちゃいますよね。

 パソコンなんかでもそうですが、安くてエコノミーなものは、必ず壊れやすいというデメリットがあります。

 僕らの終わりは、彼女が会社を辞めたときでした。あれだけ毎日飽きもせず会っていたアケミちゃんですが、会社を辞めたとたん、ウソみたいに彼女からの連絡が途絶えます。と、まあ被害者みたいに云いましたが、僕からしてもまるで魔法が解けるみたいに、彼女への関心がなくなってしまいました。

 マジックなんて呼んだりします。会社、学校、あるいは家庭。人は自分が所属するコミュニティで、寄りかかれる心の支えを求めます。一番側で支えてくれる誰かが、心の拠り所になります。

 後日談になりますが、アケミちゃんはそのあと僕の知らないどこかで、僕の知らない誰かと結婚しました。彼女と仲の良かった同僚のなかで、僕だけが結婚式に呼ばれませんでした。ちょいと向こうを覗いてみたくて、いたずら心に空けてしまった人差し指ひとつ分の穴。そこから広がった亀裂は、パリパリと僕とアケミちゃんの尊い友情を粉々にし、おめでとうのひとことさえ言えませんでした。

 再会したのはここ最近。とある年の十月のこと。会社帰りのイオンでぱったり。フードコートにてお茶することになって、訊いてもいないのにぺらぺらと、夫の暴力が酷いことと、夫が浮気していることを僕に赤裸々に語ります。パートナーシップがまだ有効なのかもしれません。

 なんでそんな男と結婚したの? という僕の問いに彼女は、なんでわたしに結婚しようって云ってくれなかったの? という疑問符で返されました。