見出し画像

無礼講              ――画像しりとりはじめました(#92)

(#91) ドライブ→「ぶ」→無礼講

なんかよくワカランけど
花見の夜桜に触発されたとかで
部長が本気出してきよった



 こうなったら、もう誰も止められないよね( ̄∀ ̄)

てか、無礼講いうたら、下の者がムチャクチャしよるのを上の者が黙認するというものが通常のスタイルなのだが、まあ、たまにはこういう逆パターンがあってもいいのかもね(・_・)

 いずれにせよ、社会人になりたてとかいう人がもし偶然にもこの記事に迷い込んでしまった、なんてことがあったとしたら、そんなアンラッキーなキミに確実に覚えておいてほしいことがある。それは――

「今夜は無礼講で行こう♪」などとゴキゲンに叫ぶオッサンに限って、その時とられた「無礼」な行為はいつまでも根に持っている。

ということだ( ̄∀ ̄)。

 そう、無礼講とは、宴席において使われるもっともホピュラーな上司のワナなのだ。せいぜい気をつけるがよい( ̄o ̄)♪


 時に、この無礼講って、何が語源でどんな由来があるのだろう?と思い調べてみると、いろいろと興味深い話が転がっている。

 まず、無礼講という概念――地位や身分の上下を取っ払ってみんなで楽しむ宴会――自体は、日本でも古代からあったとされているもよう。

 それが、具体的に「無礼講」という名称を用いて記録として残されているのは、鎌倉時代末期の1320年代初頭に、公卿にして儒学者でもある日野資朝ひの すけともと彼の親戚にして同僚でもある日野俊基が開いた会合が、史料上初めての「無礼講」である。

 この時の「無礼講」では、まずは服装を変えることから始めたようだ。
 厩戸皇子(*1)が冠位十二階を制定して以来、宮中では来ている服や被っている冠で身分が一発で把握される社会となって久しいわけだが、日野カズンズが行った無礼講では、自分の地位に合わない服をあえて着ることによって、互いの身分の上下を解らなくして歓談を楽しんだとされている。
 ただ、着るもの変えたって、顔はバレバレなのだから、そもそも誰やねんおまへ?的な無名の宮中ルーキーみたいな者はともかく、ある一定以上顔が知られていて地位も高い宮中ベテランがどんなに身分の低い服を着たところで、「いやいや、アンタ、どー見たって二階の妖怪ぢいさん (仮名) ぢゃねーか!」と顔バレして、リアルに身分度外視の宴となったかどうかはいささか疑問の余地がある(*2)( ̄~ ̄)。

*1:厩戸皇子:昔は聖徳太子と言われていたが、今の教科書では「厩戸皇子」あるいは「聖徳太子(厩戸皇子)」と書かれている。まあ、実際、日常生活で「聖徳太子ぃ~、野球やろうぜぇ~♪」とかいう呼びかけられ方は一切されなかったのだから、そらしゃーない( ̄~ ̄)

*2:疑問の余地がある:ただ、この時の「無礼講」は、身分を問わず純粋に才能のある者だけを集めて歓談を行い、後述するような一種の茶会だったり連歌会だったりを開く、というコンセプトなので、そもそも集められたメンバー自体、身分だけが高くて教養面ではちょっとナニという人は最初から呼ばれてない、という可能性もある。

 ただ、この身分度外視の宴ぶれいこう、あまりにも先進的すぎて、公家社会の中でも最上位に君臨する有識者たちからは、ちょっとばかし眉をひそめて見られていた(*3)ことも、また史実ではある。

*3:眉をひそめて見られていた:当時の上皇である花園院が著した『花園天皇宸記』には、
「日野資朝・俊基らが、礼儀・秩序もない会合を開いている、という。身分に則った格式の衣冠を着けずに、ほとんど裸も同然の不作法な格好で、喫茶の会を開いているなどという。こんなことが、はたして学問を極めた人のやることだろうか。(略)世間はこれを「無礼講」(あるいは「破仏講」)の衆だと呼んでいるようだ。」
という記述が見られる (元亨四年(1324年)十一月一日条)

 ちみなに、日野カズンスが行ったこの先進的な会合ぶれいこうは、後に言う闘茶の走りであったり、また室町時代に行われる連歌会なんかも、この無礼講に端を発している、という見方がある。
 してみると、この日野カズンズは、まさに時代の最先端を行きすぎてた者たちwという評価ができるかもしれない。

 なんか、俄然、日野資朝という人物が面白く見え始めてきたので、無礼講に限らず、日野資朝という人物の周辺を見てみる。すると、これがまた、なかなか面白な御仁であることが解ってくる。

日野資朝 カッチョ良し

 吉田兼好の『徒然草』には、こんなエピソードが著されている
(第152段)。

 西大寺の静然という上人がいて、この上人は腰が曲がって眉も白く、徳のある雰囲気を醸し出していた。
 で、この静然上人が参内した時、それを見ていた西園寺という内大臣が
「おお、なんたる徳の高さよ!」そう崇め奉るのを見た我らが資朝は、
「いや、ただのじじいやん」(笑)

――で、後日、資朝は、ところどころ毛もハゲたよぼよぼの尨犬むくいぬを伴い、西園寺邸を訪れ
「この犬も徳が高いんやろ?せやろ?」(笑)
そう言って、内大臣をぎゃふん(死語)と言わせた( ̄∀ ̄)。

……若干、というよりかなり、イヤミにもとれてしまえそうなのは、私の表現力が拙くイヤミったらしいからであって(^^ゞ、ここで資朝が言いたいのは、
「アンタが見てる徳の高さって、外見なのかい?中身なのかい?」
という徳の本質を問い質しているのだと思われる。

 また、その見方は、資朝の辞世の句にも垣間見られる。

 日野資朝は、後に「正中の変」で倒幕を企んだという容疑により佐渡へと島流しにされ、さらにその後「元弘の乱」が起こると、流刑地の佐渡で処刑されるわけだが、その際の辞世がまたなんとも涼やかなのだ。

四大本無主
五蘊本来空
将頭傾白刃
但如鑚夏風

『増鏡』「久米のさら山」

 ざっくり訳すとこんな感じ。

この世にはもとより実体はない
五蘊 (人の肉体と精神) もまた、その本質はくうである
今まさに、私の首は白刃に散らされようとしている
が、それもまた夏の風を斬るようなものだ

どうよ、この色即是空感(*´∇`*)♪

 日野資朝、カッコ良し(o^-')b♪



 さて、今日の一曲。キーワードは「宴」と行きたいところだが、冒頭の社会人なりたての人たちへのメッセージという側面を踏まえ、一歩踏み込んでこの曲にしてみた。
 今週の5曲目、東京プリンで『会社物語

 基本、おちゃらけた曲がメインの東京プリン。この曲も、いうたらそのおちゃらけ路線の曲で間違いないのだが、そんな歌詞の中にも、「無礼講」の裏の意図なんぞをくみ取ることよりも、もっと重要なメッセージを嗅ぎとることができる、そんな曲だったりもする( ̄∀ ̄)

 3番の、

体壊して入院 だけど会社は回る
君の代わりはいくらでもいる ゆっくり休め

 という歌詞は、サラッと歌い流してはいるが、相当辛辣な内容にもとれる部分だ^m^


 おっと、今宵ももうこんな時間だ。季節外れの花見のために、今から場所取りに行かねばならぬ (使命感)。

 そんなこんなで、
明日も、なるべく多くの人が、上司がかます甘い罠wにハマらず、ほどよいハメの外し方で日頃のストレスを解消できる、そんな一日でありますよう✨


■ おまけ

 今回の画像しりとり列車 (92両目) の前の車両です。タイトル「ドライブ」と右下のネタ画像で、なにこれ?て引っかかりを覚えた方がおられましたら、時間が許すような時にでも、覗いてみてやってください。

■ 参考・出典


この記事が参加している募集

X日間やってみた

こんなダラダラと長ったらしい記事に最後まで目を通していただき、その忍耐強さと博愛の御心にひたすら感謝☆です ありがとうございます ご覧いただけただけで幸甚この上なっしんぐなので サポートは、私なんかではなくぜひぜひ他の優れたnoteクリエイターさんへプリーズ\(^o^)/♪