名前のお話

小さい頃、自分の名前がキライだった。

よくある名前ではないし、同じ漢字の人とは出会ったことないけど、「絵梨香」とか「美優」とか、漫画の主人公みたいな名前に憧れていた気がします。

「わたしが大人になる頃には、自由に名前が変えられる世界になっているはずだ!」と馬鹿みたいなことを結構本気で考えていたりしました。

ですが、中学生になったあたりから、徐々に自分の名前が好きになってきました。小学生まではあだ名で呼ばれていたのですが、中学にあがって名前で呼ばれるようになったからかもしれません。

名前の漢字も、すごく好き。

メールや手紙などで、わたしを大切に思ってくれる人や深い関わりの人たちは、昔から、なぜかみんなわたしを漢字で呼んでくれます。頼んだわけでもないのに、なぜか昔からそうなんです。ふしぎ。

以前お付き合いをしていた人は、わたしの名前も大事にしてくれていたようでした。そういう話を何度かしたこともあるし、色紙に名前の漢字一文字を書いたものをもらったこともあります(これはお付き合いする以前に、わたしの名前の字を書こうと思って大学の書道の授業で書いたらしい)。


名前を好きになるということは、自分を好きになることとほぼ同じかもしれません。

わたしは自分の名前を好きになった頃から、アイデンティティが明確になっていったような気がするのです。

いつか子どもができたら、自分の名前の一字を使いたいと思っています。母がわたしにそうしてくれたように。


次回は、今更ながら、卒業研究「neutral」について書きます。


utatane


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