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【詩】鬼ごっこ

さいしょは赤ちゃんだった。白い天井を眺めていると真っ黒な影がやってきた。背の高いひとの形をした影だ。

「鬼ごっこをしよう」

夢の中で影と鬼ごっこをした。ベビーベッドで寝てばかりいる僕は影より速く走った。

「君は早いね。ちっとも追いつかないや」

影は僕を捕まえることなく去って行った。

僕が3歳の時だった。靴をはいて外を走る僕。もっと走りたいのにお母さんとお父さんに抱っこされる。それがとても不満だった。

「鬼ごっこをしよう」

砂場で遊んでいると背の高いひとの形をした影があらわれた。僕と影は鬼ごっこをした。影は僕に追いつかなかった。お父さんとお母さんに捕まえられてイヤな思いをしていた僕はとても嬉しかった。

「またね」

僕は影に手を振って影も僕に手を振った。

僕が5歳の時だった。友達と追いかけっこをしていた。僕が友達の中で一番速かった。嬉しくて嬉しくて走っていると背の高いひとの形をした影が現れた。

「鬼ごっこをしよう」

僕は笑って走った。影はちっとも僕に追いつかない。そうだ僕が一番速いんだ。後ろを振り返ったら影はいつの間にか消えていた。

僕が10歳の時だった。僕は運動会のリレーの選手に選ばれなかった。理由は僕がクラスの中で10番目に足が速かったからだ。はっきり言ってちっとも速くない。あんなに速かったのに、クラスで一番足の速い男の子の背中を眺めるばかりだった。

「鬼ごっこをしよう」

運動会の短距離走の時、背の高いひとの形をした影が現れた。

「これから短距離走で走るからだめだよ」

ピストルの音がして僕はあわてて走り出した。影は走る僕の後をついてくる。影に追いつかれまいと必死で走った。気づいたら僕は白いゴールテープの中に飛び込んでいた。僕が一番だった。影はどこにもいなかった。

僕が15歳の時だった。初めて失恋をした。誰にも会いたくなくて日暮れの公園の片隅で泣いていた。

「鬼ごっこをしよう」


背の高いひとの形をした影が現れた。そんな気分じゃないとつっぱねると影が首をかしげるような仕草をした。その姿がおかしかったから、家に帰るまでだと言って走った。走っているうちに涙がでてきたけど、家に着くまでには気分がすっきりしていた。影は夜闇の中にとけるようにしていなくなった。

僕が18歳の時だった。大学受験に失敗した。浪人生活が決まり落ち込んでいる時だった。

「鬼ごっこをしよう」

「勉強しなくちゃいけないんだ」

怒ったけれどずっとついてくる。仕方ないから走った。家に着いて振り返ったら影はいなかった。せっかくだから運動をしようと決めた。予備校と家での勉強だけでなく朝か夕方にジョギングをするようになった。大学生になる頃には筋肉がついていた。

影はいつも僕には追いつかない。不思議だった。

僕は大学を卒業して就職し結婚をした。30歳を超えるころには子供が二人いるパパになった。庭のある小さな家で家族で過ごした。犬を飼い迷い猫を保護した。

影は一度も現れなかった。

子供は巣立ち妻と二人になった。孫ができてたまにやってくる息子夫婦を楽しみに待つようになった。

孫が大きくなり成人するころには妻が先立ち一人になった。たまにふらりとやってくる猫をかわいがり鳥を愛でて庭木を育てた。

「鬼ごっこをしよう」

自宅の寝室で寝ていると背の高いひとの形をした影が現れた。僕は笑った。

「僕はもう走れないよ」

心臓が弱り身体が動かなくなっていた。同居をしている息子夫婦やヘルパーさんが僕のことを色々と助けてくれる。そろそろなんだろうなと思うこともあった。

影は首をかしげる仕草をした。影は僕のように年をとることがないんだろう。僕がなぜ走れないのか理解できないようだった。

「鬼ごっこをしよう」

もう一度同じ言葉を繰りかえす影に僕は手を差し出した。

「僕はもう走れない。だから鬼ごっこはおわりだ」

影は僕の手におずおずと黒い手をのばしてくる。影の手はひやっとした。

「つかまえた」

「つかまった」

僕の目の前に影はいなかった。ただ美しい白い形をしたひとが笑ってる。




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