ナイチンゲール

 明日、5月12日は看護の日。フローレンス・ナイチンゲールの生誕日。

 看護学生時代に「看護の覚え書」を読んだ以来、この本とはご無沙汰している。

 最近、COVIDー19の影響で、ナイチンゲールの功績が見直されている。
 改めてナイチンゲールという人を学ぼうと、金井一薫「新版ナイチンゲール看護論・入門ー「看護覚え書」を現代の視点で読むと言う本を最近、読んでいる。
 この中で、興味深い、身に覚えのある?面白い内容があった。160年以上前に生きるナイチンゲールの時代でも・・・

それは「物音」。「不必要な物音や、心の中に何か予感や期待などをかき立てるような物音は、患者に害を与える音である」と示している。
この「患者に害を与える音」とは?
またナイチンゲールは「かすかな音であっても不必要な音は、大きな必要な音よりも、はるかに病人に害を与える」とも示している。

ナイチンゲールが挙げる不注意な看護師とは?

・音を立てて動きまわる看護師
・ドアを乱暴に開けたり、何度も出たり入ったする看護師
・ドアや窓のがたつきやきしむ音に関心がない看護師
・病人をせかしたり、騒々しくかきまわしたりする看護師
・患者と話すときに、患者の視野の中に座ろうとしない看護師
・病人が何かをしている時に、背後から、あるいは遠くから話しかける看護師
・病人の思考を中断させる看護師
・歩行している患者に患者に付き添いながら会話を求める看護師
・患者のベッドに寄りかかったり、腰かけたりする看護師

 物音だけでなく、看護師の言動も患者を消耗させて、害を与えてしまう存在になってしまうらしい。

 夜間は特に、音に注意しないといけない。

 ベッド柵にかけてある尿器掛けを触る際に、覚醒させてしまうこともある。何気に置いた際に生じる音・癖の摺り足の音で患者を怒らせてしまうこともあった。

 また、巡視中にポケットに入れてあった懐中電灯が、ポータブルトイレの中身を捨てようとして前屈みになった時に、大きな音を立てて床に転がった。この音で患者が覚醒し、怒らせてしまった。謝罪したが、しばらく怒りが収まらない事態に陥ってしまったこともあった。
 この患者は認知症の程度は軽度以上の進行があり、中等度レベルであったと思われた。この事態の中、先輩看護師がこの患者に、熱いお茶をそっと差し出してくれた。最初は、お茶なんか飲みたくないと言ってたが、お茶を飲み・・・飲み終えると病室に戻っていった。
 これは準夜の話であり、休み明けに出勤すると、この患者が私をみるや、すぐに近寄り、「ごめんよ。この前は言い過ぎたなあ。姿が見えんけん、心配しとったんよ。」と言う。失敗をした私を気にかけてくれていたことに驚いた。

 なぜ、驚いたかというと、記憶は消えても感情は残り続けるといわれている。恐怖や嫌な感情は残り続ける。この大きな音が恐怖の感情として、大きな音を生じさせた私に対しても嫌な人という感情が残存してしまうのではないかと考えていた。

 しかし、この感情もあるだろうが、失敗した相手を心配する感情を、言葉として表出してくれたのだ。

 これは、先輩看護師の関わりのおかげだ。

 認知症ケアはひとりではできない。

 見てみぬ振りせずに、わざわざ熱いお茶を入れてくれ、差し出してくれた先輩看護師の優しさに頭が下がった。

今、思い出しても、涙が出てくる。

いろいろな人に支えられて今がある。

とはいえ、認知機能が低下すると、また加齢も重なると、注意力の低下もあり、「音」は混乱させる要因になる。テレビやラジオの音も、嫌う人も多い。

この機会に 日々、何気なくしてしまう自分の行動ひとつひとつを見直してみよう。 

認知症看護は患者から学ばないと・・・成長はない。知識を臨床で使わないと意味がない。何気にしている関わり、ひとつひとつに意味があると・・考えながら看護ができるには、看護師人生すべてをかけないとできないだろうなあ・・・ 

そして、愛してやまない認知症看護を学び続けよう。


引用参考書
金井一薫著:新版ナイチンゲール看護論・入門ー『看護覚え書』を現代の視点で読む

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