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8/14 台風の名前

今午後8時26分。3時ごろから雨は降ったりやんだりしていて、時々は晴れ間も覗いたりしていたのですが、ここ、愛媛県松山市近くでは、1時間ほど前から本格的に雨風がきつくなってきました。

台風の名前

昨日の実家からみた夕空の写真。台風が近い空は気配が濃い。

実家は河岸段丘の丘の上のすこし奥のほうにあります。
実家の目の前の崖になっているところに、こんもりとした木々の群れがあって、そこには昔祠があったそう。

父の話では、その祠は「石神さま」と呼ばれていたと。
そこの地層は実際川から運ばれてきた石が体積していると、地質調査をしてもらってわかったとか。
だから、実家の方は災害には強い土地柄。

むしろ、新興住宅地の我が家の方に残してきているわんことにゃんのほうが心配ということで、盆を迎えるまえにこちらに帰ってくることにしました。

途中で見かけたユリの大株。私の背丈をゆうに越えて咲き誇っていました。

この凛々しいユリ、通り過ぎたあと、ふと、夜には台風に巻き込まれるのだろうとおもうと、なんだか、どうしても写真に収めておきたくなって引き返して撮ったもの。

車から降りたときには雨も小降りになっていましたが、エンジンをかけて走り出すと突然に風も雨も荒くなってきました。

今日の夕方の天気雨。

話は変わるけれども、昔、大雪の日のこと、
幼稚園の息子を迎えに行くのに車が動かなくて、森の中を歩いて行ったことがあります。その時、天、というか空というか、大気というか、何かがいつもと違っていて、森がざわざわするなか、ああ、そうか、風神とか雷神とか、こういう気配のことを描いたのかもしれない、と思ったことがあります。

地球を覆ってとまることなく動き続けている大気。

そのなかでうんとなにかが凝縮され、エネルギーが生まれる場所、そこに、生命ににたなにかを感じてしまう、とでもいればいいのか、いや、もしかしたら本当になにか生まれているのか、先人はそれを「みた」のか。

台風もまた、個性といえばいいか、性格といえばいいか、渦を巻きながら何かが生まれ、消えていくまでの一生を持っているような気がします。

アメリカではハリケーンに名前がついている。日本もついているけれどもあまりそれを報道したりはしない、日本人にとってあまりにそれはリアルなことなので、あえて出来ないのかもしれない、と思ったりします。

人に話しかけるように、心で話しかけてみます。何を思っているか、どこへ行きたいのかと。そして、どうか、荒ぶるそのおまえの気持が、被害という落とし子を生むことなく通過できるには、私はどう祈ればいいのか、と。


愛媛の片田舎でがんばってます。いつかまた、東京やどこかの街でワークショップできる日のために、とっておきます。その日が楽しみです!