見出し画像

10/14台風一過の東京にて

共感鬱にならないためにしたこと

13日の講座は台風で流れたものの、ありがたいことに搭乗予定だったJALの航空券が追加料金なしで変更可能とわかり、早めに変更しておいたのが功を奏し(飛行機はすぐに満席)昨日14日には東京入りして、夕方からの「音程の不安な人のための音楽を描く」講座に間に合わせることができました。13日に流れた講座については、次回割引きなどで対応することにしました。

台風当日はぽっかり仕事が開いた空白の時間となってしまいました。
娘が東京に住んでいて台風のピーク時には避難もしていたこともあったりして、テレビから離れられず、そして、毎回陥る共感鬱に対抗するべく、リビングからキッチンの片付けを一日やっていました。これは効果あり。

去年は私の地元が大変な災害に見舞われて、いまだに修復が終わっていないところもあります。
高速道路を走っていると、崩れ落ちた山肌が今も目に飛び込んできます。

いろんな縁が重なって、支援コンサートに参加したのには、私自身が共感鬱にならないために、なにか動いていたい、という無意識がはたらいたのかもしれないと思います。

自分の中で渦巻いてしまうエネルギーは、どこか必要なところへ流していく・・・自分が受けたわけでもない東日本大震災で長期に落ち込んでピアノが弾けなかった経験と、私自身が火事を起こして長期に渡って自分の中に負のエネルギーを溜め込んでいた経験から、今はとにかく日常をやっていく、歩をすすめる、という方向へ自分を駆り立てて行きます。どうかどうか、それぞれの場で当事者さんたちもそうでない人たちも、次、への方向を見つけていけますように。

東京のタフさと地域との落差

昨日は講座を終えて、山手線の電車の音が聞こえるいつものホテルに到着。
電車の計画運休で、強制的にお休みとなった12日、13日の東京。そして飛行機を降りて、何事もなかったかのように日常に戻っている、東京。

あれだけの台風に見舞われながら、打たれ強い東京のタフさに感心した私でした。
一体どれだけの治水の技術と人の労力それを支える資金が働いているのか。
そうか、娘たちもこのタフさに守られていたんだ、と思いました。

一方で、自然に囲まれた周辺地域の災害。

twitterでは、そうした自然災害への備えに称賛を送る声や、そのために犠牲になっている地方のことがくるくると回ってきます。

私も答えのでない対話を自分の中で繰り返し、
都会の娘を思い、実家の母とその土地のことを思い、そうしながら、止むにやまれず、ただ自分ができるささやかなこと注ぎ込める場所を探して、
こうやって迷い込んでいる東京というるつぼ。

やれることをやろう。
今日は一日集中コース。
なにはともあれ、集えることに感謝。

愛媛の片田舎でがんばってます。いつかまた、東京やどこかの街でワークショップできる日のために、とっておきます。その日が楽しみです!