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“本物の死”は常温だった

読んでくれてありがとうございます。死に関する内容なので気が向いたら有料記事もしくは非公開にします。

1年間、お疲れさまです。
私は大晦日の正午、1年の最後まで営業をしている珈琲屋さんで、このnoteを書いています。刻刻(こくこく)というブレンド豆のアイスラテを淹れていただきました。

木枯らしの吹く大晦日です

この1年は、私の人生でいちばん精神が安定している年でした。ミシルさんのラジオのおかげ、という割合がとても大きいと思います。だから、🐄のアカウントを続けられています。



大好きな人が死んだ

今年1年、どうして私は精神が安定していたのか、定期的に振り返っていました。思い当たる大きな節がいくつかあります。

今年のお正月、私は祖父を亡くしました。
享年98歳でした。

私は昔から祖父母のことが大好きでした。健康なことに私の親族はみんな長生きで、25歳になるこの歳まで、近しい人を亡くした経験がありませんでした。

小さな頃から人に感情移入をしがちで、それゆえに他責思考になっていた私。夢を持つものの、自分よりも人のことが心配で、自分の夢を追う勇気を持つことが当時の私にはできませんでした。

祖父母がいなくなることを想像しては苦しくなり、でもいつかやってくるその瞬間に日々怯え、ひとりで泣く時間が幾度となくありました。

まだ祖父母が元気なうちに、私も社会に揉まれ、自分を少しずつ客観視できるようになる段階で、比例して課題の分離ができるようになり、前より人に感情移入をしなくなりました。およそその直後、祖父は亡くなりました。

初めて大切な人を失う私には、祖父はとても優しかったと思います。怪我をして入院し、1年ほどかけてゆっくり、老衰で亡くなりました。突然いなくなってしまうのではなく、祖父は私に1年かけて大きな存在を失う準備をさせてくれました。喪失感でぽっかりこころに穴を開けることなく、死をじわじわ受け入れることができました。

そしてお正月に亡くなったため、葬儀場もお休み。棺にドライアイスを入れ、祖父は亡くなってから葬儀まで、1週間も家にいてくれたのです。

病院で亡くなってすぐ、家に戻ってきた祖父の背中に手を差し込むと、まだ生きている温かさがそこにありました。

コロナ対策のため、私は病院にお見舞いに行くことはできませんでした。ずっと会えなかったけれど、最後の最後に、祖父は私に自分の体温をくれました。

葬儀屋さんが「よく気づきましたね。人の体温が最後まで残っているのは背中なんです。」と教えてくれました。

まだ残る体温を知っているからこそ、時間が経つごとに祖父の体が冷えていくのを感じ、「ああ、これが死んでいくということなんだな」と思いました。

祖父は長生きし、多くの方々にお世話になったため、通夜や葬儀での参列者は葬儀場に収まらない数でした。祖父は大正生まれで頑固者なのに、多くの人が「お世話になったんだ」と語る様子を見て、私は生と死の狭間の空間にいると感じました。

私の人生のすべての時間に祖父は生きていたのに、祖父の人生には私は四分の一しかいない。祖父はあっという間に焼かれてしまいました。

私は今年初めて、“現実的”に私をつくってくれた人を失う経験をしました。この大切な人の死が、これから私が人生を強く生きる土台を固めてくれるきっかけとなりました。


初めて気づいたこと

祖父が亡くなり、初めて気づいたことがあります。
私はきちんと現実を受け入れられること

現実を受け入れることができたのにも理由はあります。

・物心ついてからずっと、失う想像に怯えていたこと
・祖父が亡くなるまでに、自分のできる限りのことはしていたこと

この前提があり、私は祖父を失う受け皿が整えられていたような気がします。後悔はありません。私のなかに湧いたのは純度の高い悲しみだけでした。そして、現実の死というのは凍るように冷たくも、燃えるように熱くもなく、ただ淡々と常温で私の前を通り過ぎていくということです。思っていたよりもずっと自然な温度でした。

自分のこれまでの不安定な気持ちや、取り乱すような感情にはならず、「じーちゃん大好きだよ!これまでも!これからも!」残るのはただそれだけでした。

祖父が亡くなり、二度、祖父が夢に出てきました。一度目は、私が生まれる前に亡くなっている曽祖父に、祖父が亡くなったと伝えにいく夢。二度目は、祖父が私を抱きしめ「見ているからね」と言い、誰かに連れて行かれてしまった夢。

二度目の夢を見たときは、行かないで、と泣きながら目が覚めました。でも祖父は本当に逝ってしまったんだな、とそのとき実感したのです。


死んだのに生きている

私の祖母は数年前から認知症です。今は「座る」「食べる」などの言葉の理解も難しくなっています。ごはんを食べながら「ごはんを食べていない」と言うのです。

祖父母は喧嘩しながらも仲が良かったので、祖父が亡くなったら祖母はどれほど悲しむだろうと思案していました。しかし、祖母はすぐに忘れてしまうので、毎日毎日祖母のなかで祖父は生きていることになっているのです。

祖母のなかで、祖父は死んでいない。
今も隣の部屋で過ごしている。
そのくらいの感覚でいるようです。

ああ、これが「亡くなった人は大切な人のなかでいつまでも生き続けている」ということかと思いました。“亡くなった人が誰かのなかで思い出されるたびにその人の頭上に花が降る”なんて話がありますが、祖母は今目の前で生きている私たちのことは顔も名前も覚えていないけれど、もうこの世にいない祖父のことはいつまでも覚えているのだから、祖父の頭上には絶えず花が降り注いでいるのだろうなと思いました。

花の香りが苦手だった祖父にとってはいい迷惑かもしれませんが、そんな関係も祖父母たちらしいのです。

棺には花を入れるなと遺言がありましたが、棺に蓋をする最後の最後に祖母が祖父の顔を撫でながら、顔の真横に菊の花を添えました。認知症は面白いです。

霊柩車に棺を乗せるまでの移動に、祖母の手を取りながら私が前を歩きました。ゆっくり歩く祖母が静かに、涙をはらはらと落としていたあの瞬間を忘れられません。静かに涙を流す音は“はらはら”なんだなと妙に納得したことを今も覚えています。


春夏秋冬、またいつか

祖父を筆頭に、今年はお世話になった人たちが季節にひとりずつ亡くなりました。こんなに定期的に葬儀場と火葬場に来るものなのか、と思いました。

同世代で余命のある方と関わり「私はその目の前にいる人と向き合っているんだ。時間も気持ちも余すことなくたくさん話をしたい。」と考えた時間もありました。ドラマみたいな展開が起こったところで、狼狽えることなく受け止める自分がいることにも驚きました。第一に、余命など関係なく私が目の前にいる相手を理解したい、話をしていたいと思ったからですが。

悲しいさよならが多くあったにも関わらず、私のこころはこれまででいちばん安定していました。私にとって、想像や未来に怯え不安定になるよりも、現実を受け止め心が常温でいることが、実は自分にとってなによりこころが健やかでいられるのかもしれないと思いました。私のこれまでの不安感は、受け止める術を知らない未知の“死”によって起こっていたのかもしれません。


ミシルさん、本当にありがとう

精神が安定しているもうひとつの理由は、この🐄のアカウントを始めたことです。2月にミシルさんの配信に勇気を出してコメントし、アウトプット用のアカウントをスタートできたこと。

2年前からミシルさんの配信自体は聴いていましたが、実際にコメントをしてご本人と関わり、推しに認知される嬉しさといったら!!!私の推しは今年3冊もの本を出版しています。すごすぎ。

手前の3冊!

2年前から、「このラジオに対して私はこう思う。他の人たちはどう考えているんだろう???」と考えていました。聴いている人たちは多くいるはずなのに、Twitterで探せど探せど感想は数える程度しか見つかりませんでした。そんななか、 #ミシルラジオ というハッシュタグを作ってもらい、ミシリスナーのみなさまのラジオの感想が見られるようになったこと、私にとって大変嬉しゅうございます!!

見知らぬミシルさんのTwitter

ミシルさんはもちろん嬉しいかもしれませんが、私も嬉しいです(誰)。同じテーマに対して多くの人が持つ感想を見聞きし、多様性に触れることもできました。

正直、昨年以前と比べ、私の思考量は劇的に増えたというわけではないと思います。物心ついたときから人より多くのことを考えているような気がします。しかし、リセット癖の強かった私がもう1年近くSNSを続けられていること、ツイートを続けられていることはこれまでにないことで、考えたことを喋るだけでなく140文字以内に収めながらアウトプットし続けることが、きっと私の精神が安定している証拠なのだと思いました。

と言いつつ、リセット癖は突然やってきてしまうので、もしかしたらいつかアカウントも不意に消してしまうかもしれません。でもそのときが来るまでは、思考や気持ちを言葉や文章にすることを続けてみようと思いました。(このリセット癖については、またいつかnoteに書こうと思っています。)


2023年、楽しかったなあ

今年は🐄のアカウントを始めたことで、自分の気づきや多くの方の考え方に触れられて嬉しかったです。振り返り総括すると、2023年は“🐄のアカウントを始め、多くの気づきを得たこと”、本当にこれに尽きるなあ、と思います。

今年は友だちにもたくさん会えました。たくさん話を聞いてもらい、自分を整えられる時間が多くありました。そうやって言語化の機会が多いと、落ち込んでから回復までの時間が短くなることにも気づきました。言語化も、文字に残しておくことがセットです!数えきれないくらいたくさんの気づきを得た年でした。

私は前まで軌跡を残すことが気持ち悪くて仕方なかったんです。それは、白黒思考の持ち主であり、完璧主義であり、過去の自分を認められない自己肯定感からくるものだと思います。

でも今は、自分の過去や軌跡を、それなりに愛おしいなと思えるようになり、軌跡を振り返り眺める余裕も持ち合わせられるようになりました。その要素には、言葉を紡ぐ時間や推敲の時間、宙に浮かぶ尖った言葉を丸く撫でる時間を大切にしていることもあると思います。その時間が私にとってなにより大切で、自分と向き合うこと・整えること・行動を起こせる自分への鼓舞、全てを兼ね備えているのだと思います。

🐄のフォロワーのみなさまは、私の持つ感性を馬鹿にせず見守ってくれて嬉しいです。私は自分が阿呆なふりをしないでいられる場所をこれからも大事にしていきたいと思っています。uthinkは、私の丁寧な部分を密やかに育んでいる場所だな、と感じました。

🐄のTwitter

おわりに

いつか必ず自分の目の前に来てしまうけれど、それは今ではない大切な人の死。だけどいつ訪れるかはわからないこと。人と向き合い自分ができることはいつかではなく“今”やる。私は自分が思うより弱くなかった。祖父が気づかせてくれたことです。ずっと命について考えていたけれど、身近に、自分の手のひらに乗っかったまま深く考えることは初めてな年でした。自分にとって、いちばん苦しかったところを乗り越えたような気がしています。

祖父が亡くなった後にも「見ているからね」と抱きしめてくれたから私は大丈夫です。大切な人たちからもらった「大丈夫」を大事に抱えて生きていきます。

2024年もよろしくお願いします!
来年は今年よりもたくさん牧場を訪れ、牛乳をいっぱい飲みたいです。やっほーい🐄


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