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リーダーシップという技術

「あの人はリーダーシップがある」
「自分はリーダーシップがないから、このポジションは向いていない」

等々、「リーダーシップ」という単語が使われる機会は多々ありますが、そもそもリーダーシップって何なのでしょうか。

早くもゲシュタルト崩壊を起こしかけてきましたが、リーダーシップに関しては昔から様々な研究がされていて様々な定義がされていますが、個人的には

周りの人たちに「あの人について行きたい」と思わせる能力・資質

というのが最大公約数的な結論かなと思っています。

ポイントは「周りの人たち」

周りの人たちが重要なキーワードです。

「リーダーシップを発揮している状態」はリーダーだけでなく、周りの人たちがいなければ生まれません。

たとえば高校の運動部でキャプテンを務め、自他ともにバリバリのリーダーシップを発揮していると目されている男子高校生がいたとします。
そんな彼を、主婦の皆さんで構成されるイマイチ盛り上がりに欠けるPTAに放り込んだとして、同じようにリーダーシップを発揮することはできるでしょうか?

部活の際と同様「俺についてこい!」と言っても、お母さんたちがついてきてくれるかは疑問です。

つまり同じ人物でも環境が違えば、周りの人たちに「あの人について行きたい」と思わせることができるかどうか……すなわち、リーダーシップを発揮できるかは変わってくるということです。

何を持っているかではなく、どんな影響を与えられるか

高校生の例から分かるように、リーダーシップは「あるかないか」ではなく「発揮するかしないか」という性質のものです。

個人が持っている資質や能力を使って、周りの人たちを「この人について行きたい」という状態に持っていけるかどうか。
リーダーシップというのは個人に宿っている特殊な能力ではなく、他人との関係性の中で構築されるものなのです。

とはいえ、一般的に「あの人はリーダーシップがある」と言われる人がいるのも事実です。

そうした人たちはどんな環境でもリーダーシップを発揮しているように見えますが、それは

・環境を問わず通用する能力や資質を持っている
・環境に合わせて能力や資質をうまく使える

のいずれかであると考えられます。

前者はある程度先天的な要素もあると思いますが、後者については後天的に習得可能な技術です。

自分が何を持っていて、何を持っていないのか。
自分は周りにどんな影響を与えられるのか。
周りは自分にどんなことを期待しているのか。

そういった点をしっかり理解することで、周囲に「この人について行きたい」と思われる人間になる可能性は、すべての人が持っているのです。

リーダーシップを発揮する方法を知っている人はリーダーシップを発揮できる

我々は時に

「リーダーシップは先天的なものなのだ。特別な人だけの特殊能力だ」

と考えがちですが、そんなことはありません。

リーダーシップは「持っているもの」ではなく、発揮するもの。
そして発揮する方法は技術として学ぶことができる。

今回言いたいのはそんなことです。

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