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AI vs 人間 - 修学旅行の写真の選び方編

子供スクール(仮)では、参加してくれた子供たちに「考える力」や「伝える力」を身に着けることが大事なんですよ、という話をさせていただいているのですが、その前提として社会がどんな風に変わっていくかも伝えています。

特に大きな要因は、テクノロジーの進化。

中でもAI(人工知能)が世の中の色々なところで使われるようになることで、私たち人間に求められる能力は変わっていきます。

たとえば電卓というものが普及していなかった時代

暗算や算盤を使っての計算が早い人というのは、今よりはるかに重宝されていたと思います。

今でもそのような能力は決して不要というわけではありません。しかし、特別な才能や訓練なしでも、電卓を使えばほとんどの人がかなり早く、正確な計算をすることが可能です。

AIもそれと同じで、現時点では様々な分野で生じている能力差が、AIを使うことでかなり小さくなることが予想されます。これがいわゆる「AIに仕事を奪われる」問題です。

たとえば多くの写真の中から自分が写っているものだけを選ぶ作業

あるクラスで、その具体例としてこんなものをご紹介しました。

「遠足や修学旅行の写真が、学校の廊下に張り出されたりしますよね。たぶん皆さんは一枚ずつ見ながら、自分が写っている写真を探すと思うんですが、凄く時間がかかります。でもAIを使えば、たぶん1秒もかからずにすべて見つけることが現在でも可能です」

子供たちはすごい! ほんと? などまちまちの反応を見せてくれましたが、一人の女の子が手を挙げてこんなことを言ってくれました。

「でもそれだと、自分は写ってないけど、友達の良い写真を買えないよね?」

AIができない……とは言わないけれど、やらせる意味がない仕事

彼女が言ったことはAIではなく人間がやるべき仕事を端的に言い表したものでした。

「○○さんが写っている写真をピックアップせよ」と言われれば、AIは人間よりも早く正確な仕事をしてくれます。

しかし「修学旅行の思い出になる良い感じの写真をピックアップせよ」と言われても、少なくとも当分の間は対応することができません。

なぜなら、ルールが明確ではないから。
何をもって「良い感じ」と判断するのかを、人間がAIに教えることはできないのです。なぜなら、人間自身が何を「良い感じ」と判断しているのかを自覚していないから。

もちろん「当該人物が何を修学旅行の思い出になる良い感じの写真と判断するか」というデータを大量に用意して学習させれば、その人が「良い感じ」だと思う写真をAIにピックアップさせることは可能です。

が、その労力を修学旅行の写真を選ぶために費やすのかっていう話。

そんな手間暇があったら、人間が最初から選べばいいじゃんっていう話。

要するに何が言いたいかというと

ズバリと本質を見抜いてきた彼女はすごかったなーということ。

そこは「AIはこんなことが得意だよ」でさらっと流す予定だったんですが、思わず上記のようなことを熱弁してしまいました。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。 小難しい話からアホな話まで、気の向くままに書いてます。 「スキ」を押すと、これまでの記事のエッセンスやどうでもいいネタがランダムで表示されます。