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徳川光圀のお墓に刻まれた文章が素敵なのでご紹介します

おそらく日本史上最も高い知名度(ただし実態とは離れた感じの)を誇る水戸黄門こと徳川光圀。

彼は63歳で隠居したのですが、そのタイミングで後に「水戸徳川家墓所」となった地に、自分のお墓を建てました。
下に現役時代の服や身分証なんかを埋めて、裏面には自身の生い立ち、人柄、業績などを刻んでいます。

光圀はそれから10年後に亡くなっているので、実際には遺言というより現役時代の総括って感じになるのかもしれません。
(なお、隠居後の10年間で諸国漫遊世直しの旅に出たりはしていません)

それはともかく、光圀が墓石に刻んだ文章のうち「人柄」の部分がなんだか良い感じだったので、書き下し文と現代語訳(適当)をご紹介します。

其の人と為りや物に滯らず事に著せず。
(ものに拘らず、ことに執着しない性格だった)

神儒を尊んで神儒を駁し佛老を崇めて佛老を排す。
(神道、儒教、仏教、老子思想の教えの良いところは取り入れ、悪いところは無視した)

常に賓客を喜び殆んど門に市す。
(常に来客を喜び、屋敷の門の前は人があふれて市場のようだった)

暇有る毎に書を読む、必ずしも解することを求めず。
(時間があれば本を読んだが、内容を理解することに拘らなかった)

歓びて歓びを歓びとせず、憂ひて憂ひを憂ひとせず。
(喜んでも喜びすぎることはなく、憂いても憂い過ぎることはなかった)

月の夕花の朝酒を斟みて意に適すれば、詩を吟じ情を放にす。
(月や花を楽しみ、酒を飲んで気が向いたら心の赴くままに詩を詠んだ)

聲色飲食其の美を好まず弟宅器物其の奇を要せず、
(音楽、女性、飲食は華美なものを好まず、住居や器物は奇をてらわず)

有れば則ち有るに随つて樂胥し、無ければ則ち無きに任せて晏如たり。
(あればあったで楽しみ、なければないで平然としていた)

碑文の終わりの方には

私の霊魂は永くここ(※お墓を建てた場所)に止まるであろう。肉体のほうは、水中で死ねば魚に、山で死ねば獣に食わせてやればいい

ともあり、何かを悟った「人生の達人」って感じが伝わってきます。

とはいえ光圀公、実際にはけっこう気性の激しい人だったみたいなので、晩年に至って落ち着いたのか、後世の目を意識して良い感じに書いているだけなのか。

いずれにせよ、ここに刻まれた人柄は素敵だと思うし、自分なら現役を引退する時に自分がどんな人物だったと記したいか、なんてことも考えさせられました。

あと個人的には

暇有る毎に書を読む、必ずしも解することを求めず。
(時間があれば本を読んだが、内容を理解することに拘らなかった)

っていう部分も、読書を楽しんでいる感じがしてすごく好きです。

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