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女子大を選ぶ女の子の権利と安全のために。

実は私、幼児期から度重なる性被害に遭って、男性が怖くて、最初の大学進学は、実家近くの女子大を選んだ。私と同じように、PTSDやトラウマにより同年代男子や男性そのものが怖くて、女子だけの環境を選ぶ女子高校生の安全と人権と権利を守ってきたのが女子大のはず。

確かに、女子大にも酷い男性教員はいる。生まれ育った地方の女子大に在籍していたとき、男性教員からのセクハラ行為に声をあげ、大学もその教員を辞職させた。当時の私はフェミニズムを意識したこともない薬大生で、学生からの通報を受けて当たり前のこととして、性加害者を排除したあの女子大は、素晴らしかった。

地元女子大で学び、社会参加への自信をつけた後、ジャーナリストを目指して放送局に就職した時は、希望を持っていた。しかし、日本の報道現場は酷い環境で、取材中に薬物混入レイプに遭い、恐ろしくなって、国外に逃げた。
アナウンサー・記者時代に遭った性被害については、こちら。
【⚠️性被害経験のある人はフラッシュバックに注意】


https://note.com/utss2020/n/n03c367afe5ec

https://note.com/utss2020/n/n03c367afe5ec


https://note.com/utss2020/n/n0555d6414bf7

https://note.com/utss2020/n/n0555d6414bf7

海外では、大学に通った後、通訳の仕事を通して、性客体ではなく人間として大切にされる経験を積んで、だいぶ回復できた。

帰国後は、言語学を専門的に学び続けるために、できるだけ、女子比率が高い都内の共学の国立大に編入し、大学院に進学した。学内でティーチングアシスタントをしたり、指導教官を通じて海外大から常勤研究職のオファーも来たり、研究職で生きて行く決意も整いつつあった。

ところが、博士後期進学直前、切迫流産で4ヶ月超入院したことや生まれた子どもに障害があることがわかったことをきっかけに、男性の指導教官から研究職として見捨てられてしまった。あの時期に、指導教官から見捨てられたことは、研究職として道を閉ざされたに等しかった。女子大の大学院に進学していたなら、研究を続けられた可能性もあったかもしれないと、無念に感じた。

私が最初に進学した女子大は共学になった。たったふたつしかない国立女子大は性自認至上主義に屈服した。私立女子大にも性自認至上主義の圧力がかかっている。

共学の大学では、性暴力や教官からの性差別や性搾取のニュースが続く。明るみになった事件だけでなく、泣き寝入りは、おびただしい数にのぼるだろう。

日本で女性の安全と権利と人権は、ますます狭まっていく。うちの娘たちは、女性の安全と人権と学びと研究の権利を求めて、日本を出る準備を始めた。

念のため書いておくが、私はどの属性も差別していない。女性の権利と安全が脅かされていることを危惧している。

この内容は、2023年5月18日、Twitterに連続投稿した内容に加筆した。最近は、the letterに書いてきたが、読書とのコミュニケーションがnoteの方がとりやすいので、久しぶりにnoteに書き始めた。

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