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夢を運んで東へ西へ【東京のりもの散歩~いちょうマークの車窓から1】

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<上野懸垂線とケープペンギン>
東京都恩賜上野動物園内を運行するモノレール(上野懸垂線)の西園駅付近で飼育されているケープペンギン。IUCN(国際自然保護連合)の2016年版レッドリストでは、Endangered(EN)=絶滅危惧種とされている。

 3月某日、東京都恩賜上野動物園を訪れた私の目に飛び込んできたのは、園内配布の情報誌『みんなの上野動物園』(58号)の特集タイトル「祝! トラ来園130周年記念~上野動物園のトラたち~」だった。130周年という数字の重みに驚かされるが、開園はさらに古く、1882年とのこと。上野動物園は、明治時代から続く我が国最初の動物園なのである。
 JR上野駅から徒歩5分の表門から入園すると、そこは東園。ジャイアントパンダやゾウ、ゴリラ、ライオン、くだんのトラ(スマトラトラ)などが飼育されている。ニホンザルのいるサル山の横を通り過ぎると、ほどなく「モノレールのりば」の文字が見えてくる。
 モノレールの正式名称は東京都交通局上野懸垂線。東園駅から西園駅までの約300メートルをわずか90秒ほどで結んでいるが、途中公道をまたぐため、動物園の遊戯施設ではなく、鉄道事業法に基づくれっきとした交通機関となっている。
 元々は都電や都バスに代わる近未来の乗り物として研究が進められ、1957年に上野動物園内で現在の路線が開通。2011年に発売された『都営交通100周年メモリアルDVD』に収録された記録映画を見ると、開業当時の盛り上がりがよく分かる。車体に派手なくす玉をつけた車両が宙を滑り、地上の観客はいっせいに風船を空に放ち、さらには浴衣を着せたサルをモノレールの座席に乗せたまま運行するというはしゃぎぶり。常設のモノレールとしては日本初の営業路線となる上野懸垂線に、人々はどれほどの夢を、希望を抱いたのだろうか。
 時は経ち、上野式と呼ばれる世界唯一の方式を採用したモノレールが都営交通の主役を担う未来は来なかった。実験線から昇格した上野懸垂線は、しかしながら昔と変わらず、今でも老若男女の笑顔を東に西に運び続けている。
 東園駅から90秒の空中旅行を終え、西園駅に降り立つと、すぐそばにケープペンギンたちのいる池がある。ケープペンギンはかつて食用などのために乱獲され、さらに原油流出事故の影響により個体数が激減した。絶滅に瀕している動物と、一人ぼっちのモノレール。空を飛べない鳥と、動物園から出ることのない乗り物。両者に共通しているのは、「守られている」、そして「人々の心を癒やしている」ことである。

都政新報(2017年4月14日号) 都政新報社の許可を得て転載
【参考資料】
・みんなの上野動物園 vol.58(監修 恩賜上野動物園 発行 マガジンハウス 2017年3月1日発行)
・DVD 都営交通100年の軌跡 1911-2011(東京都交通局 2011年7月発売)
・新しい、美しいペンギン図鑑(テュイ・ド・ロイ、マーク・ジョーンズ、ジュリー・コーンスウェイト 著 エクスナレッジ)

『都バスの走る風景』は、今回から都営交通全般に対象を広げて、『東京のりもの散歩・いちょうマークの車窓から』と題してリニューアルします。(都政新報編集部)