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動物園の超特急【東京のりもの散歩~いちょうマークの車窓から16】

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 上野動物園モノレール(上野懸垂線)の開業当時の模様を映した『モノレール 懸垂電車』という記録映画がある。
 「東京名物の一つとして、空中を走る電車、モノレールが誕生しました」。軽快な音楽とともに、宮田輝アナウンサーの声がモノクロの画面に響く。
「実験用として作られたこの小型モノレールは、骨組みは飛行機のモノコック構造に準じたもので、軽くて強いポリエステルを使い、目方は6トンに過ぎません」。そこに映るのは、流線形のモノレール。開業当時に運行されていた、初代H形車両である。
 恩賜上野動物園の東園と西園とを結ぶ上野懸垂線は、都電に代わる都市交通の実験線として1957年に開業した。始点から終点までの区間は約300メートル、運行時間はわずか90秒ながら、鉄道事業法に基づく日本初のモノレールとして運営されてきた。初代のH形からM形、30形へと更新され現行の40形車両は4代目にあたる。車両老朽化にともない、残念ながら10月末をもって62年の歴史にいったん幕を下ろしたが、今後の車両更新またはそれに替わる方策については、11月以降に実施される都民等のアンケート結果に基づき検討を進めるとのこと。
 話を戻そう。上野懸垂線の初代H形車両についてである。この車両の外板はアルミニウム合金を使用しており、公共交通機関として信頼を寄せるに余りある質実剛健な顔付きをしている。自動車のフロントグリル風の装飾物が全体の雰囲気を引き締めている一方で、丸みを帯びた絶妙な外観が親しみやすさを醸し出している。車両デザインを担当した人物と当時の交通局との間にどのようなやりとりがあってこの形状に行き着いたのか定かではないが、都電に代わる都市交通を目指した実験線という位置づけである以上、単なる遊戯施設にとどまらない「未来の乗り物」を意識したデザインであることはおおかた間違いないだろう。
 H形車両を製造した会社は、上野懸垂線の歴代車両を全て製造してきた。また新幹線の累計製造車両数日本一の会社でもある。上野懸垂線の存続はアンケートの結果次第とはいうものの、夢の超特急を製造する会社の、夢のある5代目モノレール車両が作られる未来がもしあるとすれば、確かめてみたいと思うのは私だけではないはずである。

※都政新報2019年11月12日号 都政新報社の許可を得て掲載

【参考資料】
・モノレールをゆく (イカロス出版)2014年
・モノレールと新交通システム 佐藤 信之(グランプリ出版)2004年  
・日本車輌製造株式会社 公式サイト 

※上野懸垂線について筆者が執筆した記事です。合わせてお読みください。
ブルーシートの海原を(2019年5月)
夢を運んで東へ西へ(2017年4月)