見出し画像

書くこと、書かないこと

noteに書くのがお久しぶりになってしまったけど、最近、べつのところで文章を書き始めた。そこでは、読者を(将来の)自分だけに設定して書いている。
始めてから約2週間、1日も欠かさずに書いている。毎日書いてらっしゃる方たちには当たり前のことだけど、3日と続かない私にとっては異例のことだ。
読者は自分だから、つまらなくても、オチがなくても、多少脈絡がなくてもいいことにしているし、余計な文章はつい削りたくなるけどそのまま残していいことにした。だから書ける。

私は月初めにその月の目標を手帳に書いておくことを習慣にしていた。noteを10本書くとか、レポートを2科目分提出するとか、仕事を決めるとか、甘いものを食べるのは週に1回にとどめておくとかそういった内容だ。毎月4つか5つくらい目標を書いていた。

その習慣を5月からやらなくなった。なんとなく面倒くさくなったからだ。
だけど、目標を書かなくなったら、皮肉なことに本来書いたであろう目標が達成された。
文章は、つまらないものであるとはいえ、もう15本以上書いている。レポートは2科目分出した。仕事は決まった。甘いものは週に1回程度にとどまっている。

目標が達成した要因は、時間の余裕があったことだとは思っている。だけど、私は昔からプレッシャーや期待に弱かったということをふと思い出した。
言語化されたプレッシャーにはもちろん、言語化されていなくても、相手の普段の言動からこうでなければならないんだと推測し、それに応えようと力んで振る舞ってしまう。
最終的に、結果を出す前に故障してしまうことが多かった。

誰からも頼まれてないのに勝手に力むということは、自分を必要以上に大きく見せようとしていることだと思う。
元々の仕様にはないものをあるものにしよう(見せかけよう)とするから、故障するのは当たり前だ。
とはいえ、仕様以上の性能を出そうとすることが必要なときもあるとは思う。新卒のひとに仕事を頼んで、はなっから「それは仕様にはありません」って言われたら、それってちょっとどうよ? と思うわたしは心が狭いんだろうか。

だけど、私はとっくにとうが立ってしなびているので、もういい加減にこれは仕様なんだとあきらめていい部分があっていいと思っている。
仕様以上の性能がそれほど難もなく出せる部分は、ケチらずに出したいと思う。だけど、根幹をなす部分はそろそろいたわって扱ってやらないと、ほかの部分までやられてしまう。

振り返ってみれば、自分のもつ力をいい感じに発揮できているときって、自然な流れのなかで結果的にそうなっていることが多かったように思う。
受動的かもしれないけど、あくまでもわたしの場合はそのほうがうまくいく。苦手なことも能動的にやっていこう! と力むとたいてい故障する。同じことでも、流れのなかで気付いたらやっていたというほうがうまくいくことが多い。

だから、自分が自分にプレッシャーを与えるのもいったんやめてみようと思う(わたしはだらしない人間なので、だらける可能性もあるから、そのときは一時的に活を入れてやろうと思うけど)。
目標は書かないけど、noteはまた書いていきたいと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?