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行動しないひとなんていない

「考えるより動け」みたいな、まずは行動ありきって考え方は、うんと昔よりもそれが正しいとされる風潮になってきた。

でも、スピードの違いはあると思うけど、自分がしたいことに対して行動しないひとっているんだろうか。
失敗や恥という、あくまでも可能性の領域のことをこわがって動かないのはよろしくないという話はよく見かける。だけど、屁理屈に聞こえるかもしれないけど、動かないのも行動の一つなんじゃないかと思うのだ。

恥や失敗、あるいは何らかの外的な要因で、やりたいことをやらないとしたら、それはそのひとにとってやりたいことではないのだ。
本当にやりたかったら、失敗をしないような、あるいはなるべく失敗を大きくしないような工夫をしながら動くだろう(もちろん、そんなことせずに、ざばーんと飛び込んじゃうひともいるだろうけど)。

お金がないから起業をあきらめるのは、べつに本気で起業したいと思っていないからだし、家庭の事情で旅行に行きたいけど行かないのだとしたら、べつに旅行になんか行きたくないのだ。
本当に起業したかったらなんとかしてお金を集めるだろうし、旅行に行かないひとは今は家族のための行動をとりたいのだ。

わたしは普段は偉そうで、失敗も恥も避けている口ばっかりの人間だ。
だから行動量は多くはないのだけど、時々すっと決断してさくっと動く(挑戦する)ってことをする。
そういうときって「これは本当にやりたいことか?」とか「恥ずかしい」なんてぜんぜん考えてない。軽々と動いたとき、その最中は躊躇するようなことはなにも考えていない。
だから「考えるより動け」なんて言われるまでもなく、人間は本当にやりたいことに向かっては、自分が勝手に行動してしまうのだと思う。失敗しそうだろうが、恥をかきそうだろうが。

ある時期、周りの友人たちが次々とフリーランスになったり起業したりした。やりたいことに向かって動いている彼らの姿を見て、ちょっと自己嫌悪に陥ったりもした。やりたいことがないことが問題だとも思っていた。
だから無理やりに自分のなかからやりたいことを導き出そうとした。だけど、無理やり引っ張り出してきたことに対して、わたしはなにも行動を取らなかった。わたしにはフリーや起業という形で本当にやりたいことはなかったのだもの。

前職を辞めて3年間いろいろな経験をした。
それでわかったことは、わたしにはひとのためになにかをするという気持ちがないってことだ。
やりたいことに向かって新しい道を踏み出した友人たちは、口を揃えて「ひとのために」「世の中のために」と言う。
影響されて自分もなにか世のためひとのためになることをしなきゃと思っていた。他人に影響されたいわば不自然な気持ちでいくらひねり出そうとしても、上っ面のものしか出てこないわけで、べつに心の底からやりたいことではないのだから、なにも結果が出ないわけだ。

やりたいことをやるために、この春、いろんなものをばっさりやめた。
今やりたいことはだれのためにもならないし、起業なんてもちろんしない。普段はふつうの、情熱もさほどない「働くひと」だ。でもそのふつうに働くことがやりたいことのためのやりたいことなのだ。

やりたいことをやるために、恥ずかしいと思うこともした(ヘンなことではない、念のため)。
でも、恥ってとても主観的なもので、自分が恥だと思っていても他人はたいして気にしていないし、チキンラーメンが食べごろになったときにはもう忘れているはず。

恥をかきたくないからやらないってひとに、「そんなこと気にせずにやりなよ」とはわたしは言わない。恥をかかない自分でいることがあなたのやりたいことなんだから。
だけど、人間は自分のことで精一杯で、自分に危害を加えるわけではないひとのことはそんなに気にしてないよとだけはここに書いておきたい。


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