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便所サンダル、毛皮のコート

ランチのとき、やや高級でやや昭和な喫茶店に間違って入ってしまった。ビルの入口にあったべつの店の黒板にカレー¥750と書いてあって、その高級昭和喫茶店のサンプルにもカレーがあったので、勘違いしてしまった。

ケチなわたしは、いつもチェーンのセルフサービスのコーヒーショップばかりだ。
ケチなうえに見栄っ張りなので、勘違いに気づいても素知らぬふりをする。あたかもここを目指して来ましたって顔をしつつ、なにを食べても1500円は下らないメニューを見て頭を悩ませる。なにを食べても高いなら好きなもの食べればいいのにと後から思う。(結局サンドイッチを食べた。すごくおいしかったし、量もたっぷりあった)

店は空いていて、先客に女性が一人いた。ストライプの綿のブラウスを着て、ジーンズ地の足首丈のズボンに運動靴と言ったほうがいいような感じのスニーカーを履いている。
ごく普通の、いや普通より地味なおばさまに見えるのだけど、お金持ちな雰囲気が漂う。ここでお茶を飲んだあとはデパートに行って、金色のカードでお買い物をして、一部の人しか入れないお部屋で休憩するんだろうと勝手に想像する。

以前デパートで、Tシャツにジーンズ、それに便所サンダルを合わせた、わりにかっこいいおじさんがいた。気さくで、そして決断はやく買い物をしていた。
このおじさんとは対照的に、ぱりっとしたスーツを着た若めの男性が、おじさんが買ったものを持って、おじさんとの距離を1mに保ちながらずっとそばにいた。デパートの外商か、おじさんのお付きのひとかと思われる。

お化粧しっかりめのおばあさんが、すごく高そうな毛皮のコートに、勝手口に置いてあるようなつっかけサンダルをコーディネートしてるのも、銀座のデパートで見たことがある。
歩くのが少し大変そうで、妹さんか親戚らしき似たようなおばあさんが付き添っていた。
二人はは、1階にある高級ブランドの店に入っていった。

このひとたちに共通することって、地味だったりちょっと奇妙だったりするんだけど、だれかからあのひとはお金持ちなんですよと教えられたら、妙に納得してしまうことだ。彼らの普段の生活が雰囲気に醸し出されているから、そう思えるんだと思う。

貧乏人のわたしは、いくら着飾ってもだれからもお金持ちだとは思われないだろう。
ひとは見た目が大事とも言われる。それが外見的なことなのか内面からにじみ出るものなのかわからないけど、便所サンダルを履いてても、それにそぐわぬ行動が似合ってしまうひとは、内面からそのひとの特性が意図せず大放出されてるんだろう。

そう考えると、意図的に作り出した姿は簡単にその素材を見破られてしまうのかもしれない。
結局は日頃の行いがそのひとの見られ方を決めるのかもな、と昭和精神論的なことを思ってしまった。
平成も終わり、令和の夏は(も)暑いです。

#エッセイ #コラム

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