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「ごめんなさい」と言ったら負けなのか。

※はてなブログをやめたので、少しずつ記事をこちらに移します。
2017/1/15の記事

数年住んだシンガポールから帰ってきたとき、公共の場で日本人があまりに「ごめんなさい」と謝らないことにカルチャーショックを受けた。
自分だって日本にいたころは謝らない人間だったのに、そのことはすっかり棚に上げて。
そして今、再び謝らない人間に戻ってしまっている。

シンガポールでは、電車やバスなどでちょっとでも触れると、「失礼」とか「あら、ごめんなさい」などと言ってくれる。
それに対して舌打ちをする人など、少なくともわたしは見たことがない。

へっくしょん!! とくしゃみをした後、「エクスキューズミー」という人もいた。
3連発くしゃみをするときは、1回くしゃみするたびに、鼻をぐずぐずさせながらエクスキュ〜ズミ〜と言うのだから、大変だなと思った。最後の一回でいいのに。
これはすべての人じゃなくて、3人に1人くらいだったと思う。女性に多かった。むしろ、くしゃみ音が大きすぎてビックリさせられる男性にこそ言ってほしい。

こんなふうにシンガポール人は礼儀正しいということを、あちらに住むまで知らなかった。
朱に交わって、おのずと私も、ぶつかったりしたらちゃんと謝るようになった。日本に帰ってくるまでは。

で、日本に帰ってきたら、日本人の謝らなさにビックリしたというわけだ。
ぶつかろうが、電車のなかで足を踏もうがしらんぷり。混雑したコンコースなどでは、わざとじゃないかと思う勢いで正面からぶつかってくる人もいる。
海外では日本人は礼儀正しいことになっているようだが、「外国人の皆さん、だまされちゃいけないよ」と言いたくなった。

そのせいか、日本人は妙に遠慮深いところもあると思う。いや、言葉を発したくないのか。
たとえば、せまい歩道で数人が広がってちんたら歩いているとき。
「すいませーん」とか言ってどいてもらえばいいのに、黙っている人けっこういる。
その広がっている牛歩集団の後ろを、困った顔をしてひたすらくっついて歩いているのだ。がまん強い。
わたしはそういうときたちが悪い。
機嫌がよければ「失礼しまーす」と言って通してもらう。(たいていは気づいていないだけなので、快く通してくれる。いや、むしろ「失礼しました」的な感じだ)
自分の虫の居所が悪いと、「じゃまなんだよ」と言わんばかりにわずかな隙間を見つけて、いやみったらしく追い越していく。

なんでたったひとことが言えないのか。
日本語には「すみません」という便利な言葉があるのに。
わたしが悪いわけじゃない。こいつらが人の迷惑も顧みずに広がってとろとろ歩いているのに、なんで私が言葉を発する必要があるんだ。
てなことを思っているから、言えないのだ。

人とぶつかったときは、明らかに相手が悪いと思ったとき以外は、一応「すみません」口のなかでごみょごみょとつぶやくのだが、相手も同じように謝ってくれないといやなのだ。
なんだか損をしたような気になる。「お互いさまなんだから、あんたも謝んなさいよ」と言いたくなる。

さらにさらに心の狭い自分を自覚するときがある。足を踏んでも謝ってくれる人がほとんどいないなか、たまに「ごめんなさい」と言ってくれる人がいる。
機嫌がよければ「いえ…」などと言えるのだが(本当はもっとはきはきと、相手の目を見て「とんでもない。大丈夫です!」くらい言えるとよりいいのだろうが)、やはりイライラしているときは、チッと舌打ちをしてしまう。
なんてことだ。せっかく謝ってくれているのに。
わたしは体も小さければ人間も小さいのである。

こういうことが積み重なって戦争ってものは起きるんだろうか。
いや、踏まれてもぶつかられても不快な感情が起きないように人間を改造すれば、こんなことで悩まなくてもいいし、争いごとも起きないのだ。
今のテクノロジーをもって、世界中の人に集団催眠でもかければいいんじゃないだろうか。

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