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どこで食べるかはやっぱり大事だった

数年前、友人と日曜日の日本橋でお笑い系のライブを見に行ったことがあった。
ライブが終わったら一緒にご飯を食べることにしていたが、ライブの終了時間がわからず店の予約もできないので、近場でよさそうなところに入ろうということにしていた。

日曜日の夜9時近い日本橋は、閉まっている店が多かった。そのせいか、商業施設に入っている飲食店は軒並み満席だった。
ときどき食べに行っていた火鍋の店は開いていたが、わたしがどうにも火鍋の気分じゃないなどとわがままを言うものだから、わたしたちは夕食難民になってしまった。

友人はグルメで、お金を払って食べるのならおいしいものを食べたいという考えのひとだ。
かたやわたしは、食にこだわりがあるわけでも食通でもなく、時と場合によってはどこで食べてもいいと思うほうだった。
その日の食事の目的はおいしいものを追求することではなく、久しぶりにおしゃべりすることにあった(もちろん両方揃うに越したことはないのだけど)。
だから、うろうろと店を探して時間がなくなってしまうより、手っ取り早くどこかの店に入りたかった。もう夜の9時なのだし。

それで、銀座か渋谷にでも出る? と提案する友人を制し(しつこいけど、もう夜の9時だよ?)、道路に面して1軒だけぽつんと開いていた、お客さんもあまり入っていない店に入った。ぽつんとあるけどチェーン店のようだった。

まずはビールを中ジョッキで頼むが、なんだか泡が少ない。外で飲むビールのなにがおいしいって、あのクリーミーな泡なのに、これじゃへたくそなひとが瓶か缶から注いだビールと同じだ。
おつまみもいくつか頼んだが、どれもチンしたもののようだった。食べられないほどではないにしろ、全体的にうっすらとおいしくなさが漂っていた。
店員さんのことはまったく覚えていないから、可もなく不可もなく、印象が残らないようなサービスだったんだろう。
それでも、友人と久しぶりに色んな話ができて、楽しい時間をすごしたのだった。

話変わって数日前のことだが、地方在住の友人と2年ぶりくらいに会って夕食をともにすることになった。
ときどきグループでランチ会をしていたおいしくてフレンドリーな店を知っていたので、そこに決めた。
この店は、どの駅からも徒歩10分ほどと微妙な場所にあるのだけど、わたしたちが食事前に用事のあった場所からは徒歩1分だったので都合がいい。
ここ1〜2年行っていなかったので、味は変わっていないかな、あの感じがよくてユーモアのあるお兄さんはまだいるからなあ、などとちょっとだけ心配していた。なんせひとを連れて行くので。

結論から言うと、お店は前とぜんぜん変わっていなかった。ひとを楽しくさせるような味とサービスで、友人もとても喜んでくれた。
お兄さんもちゃんとそこで働いていて、ご無沙汰なわたしのことなんかも覚えていてくれた。
週始めの平日で駅近でもない店なのに予約がいっぱい入っていて、満席だった。みんなに好かれる店なんだろう。

やっぱりどこで食べるかは大事なんだなあと、友人と積もる話をしながら思った。
だれかと会っておしゃべりすることが目的であっても、いい店にいるとそのときの気分がまるで違う。
楽しい時間がより楽しくなる。このひとと一時を過ごせてよかったなと思う気持ちになる。プラスの作用が生じるのだ。

かたや機械的な食べ物やサービスを提供する店では、うきうきした気分にはなりづらい。
相手との会話それ自体は楽しかったり有意義であったりしても、そこに余計なマイナスの作用が生じてしまう。ほんのちょっとだけ後味が悪い。

チェーン店だからいいとか悪いとかではない。
うちの近所にあるドトールはわたしのオアシスだ。小洒落たカフェよりも、このドトールで一息つくとなぜか元気になる。

もしかしたら、単にコーヒー1杯飲んでいるだけであっても、場所(店)によって、相手に話せなかったことが話せたり、またその逆もあるのかもしれない。
場所って結構影響する。だから、どこで食べるかはけっこう重要なんだと思った。
ひとりひとりにとってのいい店が一つでもあって、その店が消えないように大切にできるといいなと思う。

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