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街の様子とくしゃみのガマン

カラス「コロナのせいでおいしいもんが少なくなっちゃってんのよ」
ネコ「あたいはいつもおいしいもんおばちゃんにもらってるから、情勢に左右されにゃいの」

オオゼキに買い物に行った。オオゼキというのは、スーパーマーケットの名前です。

うちの近所にあるオオゼキは食品スーパーなので、日用品は近くにあるドラッグストアで買うひとが多い。わたしも日用品は、そのドラッグストアか楽天24で買う。だけど、トイレットペーパーだけはオオゼキで買うことにしている。スコッティの1.5倍巻きトイレットペーパーは、近くのドラッグストアには売っていないからだ。
それに、気づいたときにまめに補充しておきたいのもある。水の備蓄よりもトイレットペーパーの備蓄の方に神経質なのだ。
災害が起きれば水が出なくなる可能性があるのだから、水の方が大事かもしれないけど、平時には水がないことより、トイレットペーパーがないことの方が怖い。

なので、トイレットペーパーはまだ家に在庫が潤沢にあるけれど、興味本位で売り場を覗いてみたら、案の定ではあるけれど、すっからかんだった。ここでトイレットペーパーを買うひとなんて見かけたことないのに、である。
有事のときにトイレットペーパーを買い占めようとする日本人の癖は、何十年も前のオイルショックのときからまったく変わってないんだなと感じる。

もちろんマスクもない。マスクのことは、はなからあきらめている。あきらめてたいるけれど、勤め先がテレワークができない上に、社員にマスク着用を義務付けてきた。
いや、マスクが不足してからそんなこと言われても困るし。そんなこと言うならマスクくれよと思う。実際そういうことを言う社員もいたけど、その要望は無視されている。
うちのマスクの在庫はあと2枚。

マスクの、新型コロナウイルスに対する効果、あるいは人道的な視点での議論をあちこちで見かける。
世間の大勢であるサラリーマンが多くいる場所、たとえば通勤電車の中では、マスクをしていないと居心地が悪いと勝手に感じる(マスク無しの人間に冷ややかな視線を浴びせるひとは意外といない)。
一方で、先だってある美術館に行ったのだけど、こんな時期に開館(しかも水曜日は21時まで)しているだけあって、受付のひとも来館者もマスクをしていない。
わたしはその日はたまたま残り少ないマスクうちの1枚を着けていた。なんだかその場にいるひと全員にバカだねと言われている気がして、通勤電車の中以上に居心地が悪かった。
さらにその一方で、その日昼食に入った店では、マスクをしていないお客さんはお断りだった。わたしはたまたまマスクをしていたので入れたけど、それに何の意味があるのかと思った。食事をするところだから中に入ればみんなマスクを取ってしまうのに。そういうおろかな店にはたぶんもう行かない。

SARSが流行ったとき、わたしはシンガポールにいた。あのときも今の日本と同じように、街から人が消えた。わたしはこれ幸いと、いつもなら行列してるおいしい店を片っ端から食べ歩いた。
そして今も、ランチのときはいつもならひとが並んでいる店を選んで食べ歩いている。

先だっては前から楽しみにしていた芝居を観に行った。この時期にやるという決断を下すのも勇気がいったと思う。そして、満席だった。

楽観的すぎず過度に恐れず、この境界を見定める難しさを、災害が起きるたびに思う。
SARSのときはわりに脳天気だったのは、海外だったからなのかもしれない。マスク騒ぎもトイレットペーパー買い占めもなかった。だいたい、当時マスクをするのは日本だけだったんじゃないだろうか。

学校は休校、地元の図書館は明日から休館だという。
会社も休業すればいいのに。

また明日から電車の中でくしゃみをしないように必死でこらえる生活が始まる。

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