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手に入った途端それは消える

人に厳しい人は、自分にも厳しい。

てなことはよく言われるが、そのとおりであることもあれば、そうでもないこともあると思う。(どんなものにせよ、ものごとというものは、完全に真であるとか偽であるとか言い切れないから、冒頭のこともその例外ではないのだけど)

あるとき、気がついた。
わたしは、人に厳しく自分にも厳しい。と同時に、人に厳しく自分に甘い、ということが。

「自分に厳しく、かつ甘い」の二面性ってなんだろう。

たとえば小説家になりたいとする。そのためにやるべきことは何か。いろいろあると思うけど、何はともあれ書くことだろう。書かなければ何も始まらない。新人賞への応募だってできない。
書いたものをどっかのWebメディアに載せたっていい。今はいい時代で、載せるところはたくさんある。このnoteだってその一つだ。

ところが「まずは小説の書き方を習わきゃ」とか、「こんな文章、人には見せられない」などと考えてしまい、行動しない。
技術が伴わないのにやってはいけないという完璧主義と、批判されたくない、恥をかきたくないというおそれ。それらがあるから、行動しないし、できない。

このことは、ある意味自分に厳しい。今はまだやる時期ではない、もっと精進しないといけない、完璧になるまでやってはいけないと思っている。自分の思う完璧は、青天井であることが後からわかるのだけど。
一方では、自分に甘くもある。批判されたり、恥をかいたりする覚悟をしていないのだから。

日頃から人に厳しくしていると、こういうことが起こりがちだ(もちろん、人に甘く自分に厳しい人もいると思うけれど)。
どんなことであれ、人のチャレンジを見て、「スキルもないくせに『プロ』とか言っちゃって、ずうずうしい」とか、「全くお粗末だ。こんなんでできるんならわたしでもやるわ!」などと人を批判していると、今度は自分がやろうとしたときに、同じことを言われると思って、怖くなって動けなくなる。
人を批判したりバカにしたりする人って意外と少ない。いたとしても、面と向かって批判されない限り、それはただの妄想、くらいに思っていたほうが平和だ。
いや、たとえ面と向かってバカにされたとしても、その人がどんなつもりで言っているのかは、その人にしかわからない。「こんなこと言われた!」と落ち込んだり怒ったりするのも、これもまた自分の妄想なんだと思っていたほうが平和だ。

一部の人を除いて、誰でも最初はよちよち歩きなのはしょうがない。生後数秒で、しれっとしてすたすた歩く赤ちゃんとか気持ち悪いし。
他人のよちよち歩きは自分には何の関係もないのだから、批判する必要はない。たとえ、誰かのよちよち歩きにどすっとぶつかられて直接的な迷惑をかけられたとしても、それを選んだのは自分だ。
自分の選択には自分で責任を取ったほうがいい。ごりごりな意味での自己責任ではなく、「あーあ、ぶつかられちゃったなあ。見る目がなかったな、わたし」くらいに思っていれば、嫌な感情が早くなくなるから。恨みつらみは後を引くんでね。

自分がやりたいと思いつつもできないそれは、実はたいしたことじゃない。人から見たらどうかわからないけど、少なくとも自分にとってはたいしたことじゃない。

「やりたい」とか「こうなりたい」と思うものは、わたしにも今までいくつかあった。成し遂げたものもあれば、成し遂げられなかった、あるいは成し遂げようとしなかったものもある。

成し遂げたものは、成し遂げた時点で「あれっ?」って思うほど、取るに足らないものだった。
シャボン玉に触れたらぱこんとはじけて消えてしまうように、ものすごく大きなものに見えたその目指していたものは、手に入れた時点であっさりと消えてしまうようなものだった。「なんだ、これしきのことにずいぶん気合いを入れてたんだな」と思う程度のことだった。

身の丈を考えて、目指すものを設定していたわけではない。そのときの自分にはそれなりに壮大なもの、手の届きづらいところにあるようなもののように思えたのだ。
でも、手が届いたら、なんだこんな程度のものだったんだと思うようなものだった。別に落胆しているのではなく、自分が思っていたほど大変なことではなかったということだ(それでも、それなりに努力した自分を、多少はねぎらったほうが、精神衛生上いいとは思う)。

成し遂げ(られ)なかったものは、準備万端を追求しすぎたものだ。根気のないわたしの中で、その目指していたものはしおしおとしぼんでいった。
完璧な状態で挑むことなどほぼ不可能だということがわかっていなかった。そのときに完璧だと思っても、完璧ではないということが、やってみた後に判明するのだから。
やりながら質の高いものに近づくことはできるけれど、完璧なんてそもそも存在しないと思う。今の完璧と、1年後の完璧は違うのだから。やはりシャボン玉のように現れては消えていくものなのだ。

だから、ビクビクすることはない。「やればできる!」なんてことは言わないけれど、目の前にどどーんと立ちはだかっている大きな大きな岩のようなものは、実は張子の岩である可能性が高いのだから。

そして、他人を怖がるな。赤ちゃんがよろよろ歩く姿を見て腹を立てる人はどこにもいないでしょ。

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