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自信をもって糠味噌の春

東京は春でございます。もう春ってことでいいんですよね。
ヒーターはしまっちゃったし、エアコンのフィルターも掃除しちゃいましたけど、寒の戻りとかないですよね? 
あ、今日は少しひんやりしましたけど、この程度ですよね?
高校のときの始業式で大雪が降ったことがありますけど(東京で)、そういうのないですよね?

ということで、無事に春が来ました〜、東京の桜は終わっちまいました〜、イエイ!
と、無駄にテンションが上がる季節でございます。

日本では4月が新しい年度の始まりですが、そういう先入観を抜きにしても、春というのは始まる季節だなあと最近感じます。緩む、出るという季節でもあるようです。緩む→出る→始まるって順番がいちばんしっくりきますが、どうなんでしょう。

緩む。
春になると、普通に道を歩いていて意味もなく「幸せだなぁ」なんて加山雄三みたいに思って顔が緩みますし、緩まなくていい財布の紐も緩んでしまいます。
春になると妙なひとが増えるというのは、あながち嘘ではないようです。

出る。
春のそうじ祭りとかたづけ祭りも始まります。
わたくし、年末に大そうじはいたしませんの。だって、寒い冬に何を好んでそうじしなきゃならないのでしょう。乾燥してるからホコリもくっついてくるし。
なので、毎日のそうじで至らないところは、春から初夏にかけてきれいにいたします。先だっては普段できない洗濯機の下とか後ろをそうじしていましたら、洗濯機と壁のあいだに頭が挟まれて圧死するかと思いましたわよ。

そうじと同時進行で、春のかたづけ祭りも開催いたしました。
おととしの春、こんまりさんのときめき本に感化されて、これまでにないくらいの大々的なかたづけをしました。
その最中の「ときめき」のなさで捨ててしまいましたが、そのことを忘れて、冬になって履きたいパンツ(ズボンね)を探しまくるなんてこともありましたっけ。季節による「ときめき」とほんとうの「ときめき」との区別には慎重にならなければなりません。

今年のかたづけ祭りでは、それほど不用品はないはずとたかをくくっておりましたが、ぜんぜんそんなことはありませんでした。おととしに大がかりなかたづけもしたし、使わないものを普段からチェックして処分しているのに。

自分のことを、けっこうまめな人間だと思っていましたが、何年も使っていないものとか、明らかにいらないものを長年放置していたことが、今回のかたづけ祭りで判明しました。
もう廃棄したノートPCの予備バッテリーとか、使用済みインクカートリッジとか、もらいものの一度も使っていないデカイ鍋とか。

戸棚の扉を開けるたびにそれらが目に入ってはいたものの、いつかどうにかしようとうっすら思いながら扉を閉めて、見なかったことにしていました。

が! 今回のかたづけ祭りで、それらに対してもけじめをつけたんでございます。
バッテリーは、近所の個人経営の電器店で引き取ってもらいました。
インクカートリッジは、一部の郵便局にリサイクル用のボックスが設置されていることを知り、近所の郵便局で処分してきました。
定期的にバザーをやっている慈善団体が近所にあり、そちらに「寄贈」という名目のもとに鍋を押し付けてきました。

家から500m圏内で、あっさりとすべてのことが終わりました。
バッテリーやインクカートリッジは、リサイクルのために電器店に持っていこうと思いつつ、それを何年もしておらず、デカイ鍋は、いつか使う、大きな肉の塊を料理するかもしれない、てなことを思っていましたが、肉の塊どころかそんな大々的な料理をする気力も体力もスキルもなく。
全然まめじゃないし! どうやらわたしは自信過剰になっていたようです。
自分はまめな性格だから、ちょっとくらい放置していても大事にはならないだろうといった態度でいたから、やらなければいけないこと(=処分すべきものを処分すること)が何年も先送りにされていたようです。

自信をもつことと自信過剰って違うんですね。知りませんでした。
たしかに、わたし自身、ものごとをとっととやるという側面もあります。でもそのことに自信過剰でいると、だんだん筋力が弱まってきます。先延ばしにしていることに気がつく力が弱くなっていたようです。

だから、自覚している自信の上にあぐらをかいていないか、ときに意識してチェックする必要があるんだなーと思いました。
あぐらをかいている状態が、つまり自信過剰な状態なんだなと思いました。

でもですね、自信過剰に陥るのではなくて、かといって自信がないとおどおどするのでもなく、人間ってもっともつべきところに自信をもったほうがいいんでしょう。
あれができるとかこれができるとかといった細かいことではなく、もっと大きいところで自信をもつということが必要なのかと。

自信過剰の結果、デカイ鍋を7年も抱えていたとしても、それほど自分は損なわれないであろうという自信とか。
そもそも自信過剰であった事実があったとしても、それでも自分は損なわれないという自信とか。

自信がないと、何かにつけて取り繕おうとするから、却って自分のエゴを露呈することになります。周りのみんなはきっとわかってます。わかってないのはわたしだけ。ひぃ〜。

他人に対してではなく、自分に対して自信をもって堂々としてればいい。自信がないのは自分を軽蔑しているからかもしれません。わかりませんけど。

さて、緩んで、出して、そして始まる。
ぬか床を始めますよ。イエイ!
料理好きなひとたちでもぬか床をダメにしたという話をたくさん聞いてきたので、ぬか床は敷居が高かったのです。でも、よく考えたら、料理好きか否かということよりも、まめかどうかがぬか床の命を左右するのではないでしょうか。
だから、まめなわたしは自信をもってぬか床を作ろう。イエイ!

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