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選択の基準

ひとに頼る(利用する)のか、あるいはすべてを奪われるのを覚悟で自分ひとりの力でやるのか。

人形の家 Part2」を観た。名作といわれる「人形の家」のその後の話を描いた作品だ。
オリジナルで夫と子どもを残して家を出ていった主人公ノラが、ちょっとした用があって15年ぶりに戻ってきたというところから話は始まる。
ちょっとした用とは、ノラが今とてもまずい立場に立たされていて、最悪の結果を招かないために元家族のひとたちに頼み事をすることだった。

舞台となっている時代の制度は男性優位であったり、今ならならないようなことで詐欺罪に問われたりする。なので、彼女がひとりで自分の苦境をなんとかするのはとても難しいことのようだ。

最近の日本でも、脅されたという理由からあることが取りやめになったということに対して、それじゃあ脅迫に屈したことになってしまうんじゃないかという議論がもちあがった。
そういう論点から言えば、ノラの場合も、夫たちになんとかしてもらったら制度に屈したことになる。なんせ彼女は筋金入りのフェミニストなのだから。

15年前に家を出ていったばかりのノラは、ひとりでいるのに四六時中だれかの声が聞こえてきたという。聞こえてきたのはぜんぶ他人の、夫や教師や牧師の声=彼らの価値観だった。それらの声は、長い間孤独でいることで完全に聞こえなくなったらしい。

だれかに話を聞いてもらったり、だれかに助けを求めたり。そういうことが近年は随分と推奨されるようになった。わたしが子どもの頃は、ひとりで成し遂げることが美徳とされる風潮だった。
ちがう視点や思わぬ解決策を得られたり、ひとりじゃできないことができたりするから、だれかに頼ることにいい面はたくさんある。
だけど、なんでもかんでも外に広げすぎてしまうことによるデメリットもあると思う。
話を聞いてもらってその場はすっきりするけど、そればかりやっていると自分がほんとうにどう考えているかがわからなくなるとか。
助けを求める、ひとを巻き込むということを容易にしすぎて、そんなつもりはなくても、たんにひとを利用しているような状況になるとか。

ノラの葛藤はそこにあるんだと思う。
だれかに頼って(悪く言えば、だれかを利用して)、ちょっとした不正をやってもらって、それで問題は解決する。
だけどノラは「結婚なんて制度いらない!」とか言っちゃうひとだ。それになによりも、孤独に耐えて「人形」から抜け出したのだ。
彼女の選択の基準はこれらにあるはずなのだ。

結局ノラがどうしたか、公演は来月までやっているので、ぜひ観てほしい。

ところで永作博美さんは相変わらずかわいいな。女優さんとはいえ、同い年だと思うと自分が残念でならない……。


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