笑うプロセス 芸がベース

 姫路の偉大な先達に、桂米朝師匠がいらっしゃる。
噺が面白いのはもちろんのこと、なんともやわらかい播州弁が、じいちゃんやばあちゃんと話しているような、なんだか懐かしい気分にさせれてくれるのもあって、大好きな落語家さんのお一人だ。

そんな米朝師匠のある一言にしびれた。

「人の弱さが芸だっせ」

これはこちらの本から。
定期的に繰り出される、松岡校長の知のパンチを受け止めようと「千夜千冊エディション」は出るたびに鼻血出しながら楽しんでいるのだけれど、近著の帯にあった米朝師匠のこの言葉にはノックアウトだった。

だって、ビジョンにむかって一直線にかけぬける強さを持つ人ばかりじゃないはずだから。
ここ数回のブログでも、人生における「壮大なゴール」のことを考えてみてたけど、きっとそこへ向かうプロセスはくじけることがいっぱいだから。
そもそもビジョンだなんて、描くところで挫折しがちで、描けてから後だって先の見えない登山道にくらくらしながら、何度もこけてはすりむき、歩むのだろう。

けれどそんなところでくじけようが、苦しもうが、その弱さや悲しみを、わらいや感動に変換してくれるのが、「芸」だと思う。
米朝師匠の落語にも、どんくさいおっさんにおとぼけなおかあちゃんから、ひねくれものや偏屈まで、弱さをかかえた人々のオンパレードだ。

そんな弱さが、笑いの原点に感じる。

笑われるのではなく、笑わす。
そこには、人間への深い理解と愛情があるはずだ。そんな愛情に包まれた笑いがみちていれば、苦しくったって悲しくったってコートの中では平気なのだ。

くじけるプロセスを笑いにかえることができたとき、きっとゴールに向かうことがただただ楽しくなってくるのだろう。
僕もまただれかのそんなプロセスのそばにいることは多い。クライアント、顧客、教室、家族。いろんなところで笑いを生める「芸」を磨きたいものだ。

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