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豆もやしの量産

前回の日記にあるとおり少し前までパルミーの動画をひたすら見続けていたが、中級者編まで見て知識欲は大体満たされた。
というわけで全動画見るという目標は一旦ストップ。

じゃあどうしようかと色々考えた結果、まずジェスドロやろうかという結論に至る。

ジェスドロをやるという結論に至ったわけ

ジェスドロとはジェスチャードローイングの略である。
人体を短い時間で素早く描くクロッキーの一種。
その中でも部位などに拘らず、動きを描く事にフォーカスした練習方法だ。
人体を完璧に描ききる必要はなく、「なんとなくの動き」が伝われば、豆もやしだろうが線1本だろうが構わない、というゆるさである。

というか見たものを見たまま描くのではなく、伝わりやすいように誇張する事も推奨されている。
「名詞ではなく動詞を描く」
そんな感じのものがジェスドロだ。

このジェスドロ講座、パルミーの中でもかなり人気らしい。
各所でジェスドロ講師をしている砂糖ふくろうさんとパルミーのタキザワさんという方がやっているのだが、まず2人の会話がゆるくて楽しい。
ジェスドロやりながら漫画の話とかしてたりする。
そのため「絵上手くなるために毎日ジェスドロで練習がんばるぞ!」というよりは、ラジオを聴く感覚でゆる〜くやれている。

人体(全身)を描くというのは普通にやったら結構骨が折れるものだが、ジェスドロだと1分か2分程度だし豆もやしでもOK。ハードルが低い。
ヘッダー画像のちょっとセクシーな豆もやしも2分くらいで描いたものである。

で、ジェスドロをやるとどうなるかというと…
・人体を描くのが速くなる(人体に限らず筆も速くなる気がする)
・そもそも全身を描くことに抵抗が無くなる
・細かいものでもまず単純化出来るようになる
・伝わりやすい絵が描けるようになる


パルミーの様々な動画を見てきて学んだことの1つは、「ラフが命」
ラフの時点で良くない作品が、完成してから良いものになるわけがない。

小説や漫画で言うプロット、ものづくりで言う設計図のようなものである。
様々な講師のメイキングを見てきたが、まずイメージラフの全体像をさっと描いて、そこから全体をブラッシュアップしつつ、こだわりたいポイントは時間と気力が許す限りとことん突き詰めていく。
このやり方が一番効率いいように感じた。

ではその良いラフを描くためには?
試行回数である。もちろん慣れれば回数も減ってくるのだろうが。
筆が速くなれば当然試行回数が増やせる。

そもそも趣味絵レベルなら、普段から完成形を見据えてきちんと描こうとしなくてもいいんじゃないかと。
それこそラクガキレベルのラフを量産&ストックしておいて、気に入ったラフを生成出来た時にブラッシュアップしていく感じでいいのかなと感じた。

もしくは「正月の絵を描きたいな」とか目的が出来た時に、ストックしておいたラフの中から選んでそれをブラッシュアップしていく形とか。

これでいい気がする。

完成の形は人それぞれ

"絵が描ける"イコールTwitterに溢れる神絵師のような感じ
になってしまいがちだが、別に絵って必ずしも上手く描ける必要はない、と思うのが持論である。

その割に「絵を描けるようになるためには!毎日欠かさず練習して、色々な事を意識して完成させることを目指してください!デッサンと模写もやりましょう!そうすれば上手くなります!」が世論な感じがする。

いやいやしんどいって。
でもこんな意見ばかりなので、何だか自分も上手くならなきゃいけないような気がしてくる。
そもそも上手いという言葉の定義が曖昧すぎる。

もちろん「プロを目指したい」とか明確な目標がある場合は別だが、描けない人の「ただ絵が描けるようになりたい」に対してもこのアドバイスが飛びがちだなぁとは思う。

これってスプラトゥーンとかに例えると…
「スプラ初心者の人は毎日欠かさず30分はガチルールをプレイして練習してください。対戦に行く前に試し打ちも欠かさずやりましょう。ブキのサブスペと射程は全て理解しましょう。味方の位置を意識しましょう。上手い人の動画を見ましょう。終わった後は必ず反省点を挙げて次回に活かしましょう」

始めた時点でプロゲーマーやX帯を目指すのなら話は別だが、ただの初心者にこれを言うのは意味不明だし酷である。
友達にこんな事言われた日には普通二度と起動しなくなる。というか縁切った方がいい。

イラストにも対戦ゲームにも共通して言えるのだが
「上手くなりたい」の「上手い」の部分が、具体的にどの程度のものなのかは人によって異なる。
それを理解出来てない人が多いからこそ生まれる齟齬なのかなとも感じる。

スプラだって「ランキングに乗るレベルで上手くなりたい」人もいるし、「S+いけるくらい上手くなりたい」「友達(みんなA帯)の中で最強になれるくらいに上手くなりたい」人だっている。上手いの指標は人それぞれだ。

イラストだってそれと同じで「プロになりたい」「イラストでバズりたい」「好きなキャラのかわいい一枚絵が描けるようになりたい」など、上手いの形は人それぞれである。

それなのに巷に溢れる「上手くなるためのメソッド」は基本的に「プロになりたい」とか「バズりたい」人向けのものばかり。
もちろん実際に上手くなるだろうし正しいっちゃ正しいのだろうが、そんな高いモチベがない人がガチ勢の練習方法真似したら描くのが嫌いになっちゃうって。
というか「上手く描くためには…」と絵を描くハードルが上がって、試行回数を重ねにくくなる。

上の方で「絵が上手くなるためには試行回数が大事だ」と書いたが、上手くなる事を意識しすぎたら試行回数を重ねられず、結果的に上達から遠ざかるという悪循環。

仮に全く走れない人がいたとして、走れるようになる為にオリンピック選手並の練習をしなさい!って言われてるのと同じようなもんだよね。

ゲームもイラストも、ストイックに「めちゃくちゃ練習頑張って努力して上手くなりました」みたいな人間はいる。
が、「何か楽しくて続けてたら勝手に上手くなっちゃった!」という人もいる。
だったら後者の方が断然いいじゃん。

「努力が美徳」と言われた時代もあった。
今でもそう言う人はたくさんいるけど、時代遅れだなと思う。
努力しないで済むのなら出来るだけ楽しよう!が令和のトレンドですわ。
やるべきところはちゃんとやるべきだけど、手を抜くところはとことん抜く。大事っす。

下手でも楽しむためには

ガチ勢になりきれないエンジョイ勢といえど、全く上手くいかなかったら楽しめないものである。
適当にラクガキしてはワンパターンのものばかり生み出しつつ、お世辞にも上手いとは言えない出来。
描くという行為自体は楽しいっちゃ楽しいが、子供の頃のような無邪気な楽しさはない。

やはりある程度は上手く描けるようになりたいものである。
そこで、前述のような絵が上手い人のアドバイスを鵜呑みにし、練習を重ね………
時間をかけて頑張って描いて出来上がったものが………
あれ、微妙だな…………

この現象になり、私はしばらく本気で模写しか出来なかった。
模写は模写で楽しいのだが、やはり物足りなさはある。
(スプラで言うとタコゾネスと永遠に戦ってる感覚かも)
というか模写でしかないので、自分の作品として発表出来ないし。

模写を続けてるので当然画力が上がっている実感はあるのだが、自分の絵に発展させる事が出来ない。
が、模写せずいちから描くと何とも言えない下手な何かが出来上がるので楽しくない。
描く行為自体は好きだから全く楽しくないわけではないのだが………うーーーーん…………

長らくこんな感じになっていた。

その救世主がジェスドロである。
そもそも1分や2分で全身を描かなければならないので、最初から上手く描けるわけがない。
下手な豆もやしが生成される。人体のバランスも悪い。足がめっちゃ短くなったりする。
が、シンプルな線でも何のポーズなのかは意外と伝わるものである。それが面白い。
そもそも下手でもなんだか愛嬌のある絵が出来上がる。

1体描くのに何時間もかけて「何か微妙になっちゃった…」よりは1分で1体描くのを何回も繰り返して「下手だなガハハ!あ、これは上手く描けてんじゃん」の方が精神衛生上良い。
しかも、どうやらこれを続けていればちゃんと上手くなるらしい。お得じゃん。
たくさん失敗出来るからハードルも低いし。


長々と書いたが、そんな感じで最近はジェスドロで豆もやしを量産している。描くのが楽しい。
3ヶ月後くらいにどうなってるか楽しみである。

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