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【シャニマス】コミュタイトルとかBGMで出てくるクラシック音楽ネタについて

はじめに

こんにちは、ときわという者です。グレ5と6を往復しているクソ雑魚です。
今日は、表題の件について一筆書かせていただきたいと思います。
私は生憎ロックのことはわからない、正直に申し上げればシャニマスの楽曲以上にクラシック音楽ばかり聴いてきたと思います。
親が時々クラシック音楽をかけていて、ちょうど小学校3年生か4年生くらいにやっていたのだめカンタービレというドラマがきっかけでドラマに登場した曲から段々聴き始めるようになり、中高時代は通学時間が長かったものですから、電車の中での安眠BGMも兼ねて、プレイヤーに入れる曲を探しに行き、市立図書館に足繁く通ってはウィーンフィル・ニューイヤーコンサートのバックナンバーを掘り起こし、クレメンス・クラウスにトスカニーニにムラヴィンスキーにと往年の名録音を血眼になって検索しては借りて聴いてやがてはCDを買うようになっていきました。大学時代も引き続き趣味が昂じてiTunesでメンゲルベルク×ロイヤル・コンセルトヘボウの録音集だとかブザンソン音楽祭のリパッティ最期のリサイタルのCDを探し求めたりしていました。最近の録音よりも20世紀前半までに活躍した指揮者や演奏家のものばかり聴いている気がします。

そんな私がシャニマスと出会ってからはや4年の歳月が経過しました。思えば数々の素晴らしいコミュの元ネタには、様々な背景があることを色々な人の書き遺した考察を読みながらへぇ~そうなんだと毎回唸らされるばかりです。例えばこのコミュはこのロックの名曲に着想を得ているからそういう名前が付いているのだというものだったり、そういうプチ教養的な切り口で見る読み方というのもまた一興だなと思っておりました。もっとも、クラシック音楽がちょくちょく出てくる部分で、これはどういう楽曲でというところの紹介にかかる記事は、調べた限り見当たらなかったので、ようやく筆をとってみたという次第です。

なおこの記事を書くにあたり、私が所属しているDiscordのシャニマス非公式ファンサーバーのSHINY CORDにて、2023年1月に元ネタのクラシック音楽をみんなで聴こう!という趣旨の企画を立てた際に使用したスライドに書いてあったことを少しばかり再利用しております。本当は2023年中に記事を出したかったのですが、中の人の人生最後の春休み×夏休みと二回試験でそれどころではありませんでしたので、すっかりすっぽかしてしまいました。企画後に出た千雪さんのマイコレで突如かかったとある音楽に触発されてふと企画を思い出して重い腰をあげたのでした…。
※以下「SHINY CORD」のリンクです。


田中摩美々/【フィドル・ファドル】

クラシック音楽といえどもだいぶ時代が下った方のアメリカの作曲家、Leroy Andersonの作品がそのままコミュタイトル・カード名に採用されているこだわりっぷりです。何故コミュタイトルがそれになっているのかは適宜コミュを読みながら感じ取ってほしいところではありますが、原曲がどういうものか知っているとより理解が深まるのではないかと思います。

Fiddle-Faddle

フィドルとはヴァイオリンのような弦楽器のこと、ファドルとはぶらぶら徒然に過ごす、ふざけるという意味。摩美々のキャラクターを端的に表している。

Song for the Bell

冬のある日、シャニPと摩美々が一緒に事務所に帰っていくときに街からなにやら賑やかな音が聞こえてくるというコミュタイトルがこれだ。

The Syncopated Clock

Syncopatedとは、本来のメロディから逸脱した状態を指す音楽用語だそう。
わが道を征くファッションでファンを魅了し、彼女の個性を買ってくれる仕事をシャニPが取ってくるという話に付けられたタイトルだ。こういうセンスが本当にシャニマスでニチャァってなってしまうんだ…。

Sleghi Ride (そり滑り)

何故これがコミュタイトルに採用されたのかは私にはわからなかった(いい考察があったら教えて下さい。)。この場面では、大雪で事務所に遅れてやってきたシャニPを迎えに寒い中摩美々が外で待っていてくれる。英語版の歌詞にtogether with youと出てくるので、そうした心情を示唆しているのではないかと云われている。

The Typewriter

おそらくこの曲はルロイ・アンダーソンの曲の中でもずば抜けて有名だと思われる。タイプライターを楽器として用いるというのは実に音楽の冗談(musikalischer Scherz)という感じだ。
PCのキーボードをパチパチと鳴らしながら忙しく操るシャニPに摩美々がくだらない(=Faddle)いたずらを仕掛けてくるお話だ。ちゃんとカードタイトルもくだらないいたずらという形で回収しているのがすごいなと驚かされる。

Plink, Plank, Plunk !

https://www.youtube.com/watch?v=eFsx8EPZ4pk

全曲にわたってピツィカートという奏法で演奏される。弦楽器では通常弓を用いて音を奏でるのだが、弓を用いずに弦を指で弾いて演奏するのだ。私が聴きまくったウィーンフィル・ニューイヤーコンサートに比較的よく登場するヨハン・シュトラウスⅡ世/ヨーゼフ・シュトラウス合作のピツィカート・ポルカ、ヨハン・シュトラウスⅡ世のオペレッタ『ニネッタ侯爵夫人』からの新ピツィカート・ポルカでも登場する演奏スタイルだ。
雪道でポロン、バタン、ドスンと転ぶ2人を軽快なピンピンポロリという音で表現しているのがなんともコミカルである。

幽谷霧子/【奏・奏・綺・麗】

12 Variationen über ein französisches Lied "Ah, vous dirai-je, maman" C-major, K265

次は霧子のカードから、Wolfgang Amadeus Mozart12 Variationen über ein französisches Lied "Ah, vous dirai-je, maman" C-major, K265を紹介しよう。日本語だともっぱら「きらきら星変奏曲」で知られている曲になる。

もともとは18世紀末フランス、すなわちフランス革命の時代に流行していた恋の歌である「ああお母さんあなたに申しましょう」という曲だったのだが、それをモーツァルトが12曲の変奏曲に仕立て上げた。
曲名の通り、13変奏・14変奏なるものは存在しない。けれども、霧子のサポカのコミュタイトルはあたかも続きの変奏が存在するかのごとく書かれている。ここでは彼女の死生観や物事への向き合い方がどのようなものであったかを振り返ることはせず、それらの考察は他の方の素晴らしい考察に譲りたいが、「繰り返して……繰り返して……ゆっくり……音楽に……なるんだね……」という言葉とともに、彼女の世界観がこのコミュタイトルに溶け込んでいるように思えてならない。
この12変奏のうちの5変奏目には不協和音が混じっており、8変奏はハ短調である。必死に足掻いても”おともだちごっこ”でアイドルをやってる人にすら私は敵わないのだと自暴自棄にシャニPへ吐き棄てたにちかはレッスン場を後にしようとした。しかしそこでにちかは、霧子と鉢合わせてしまった。まさに不協和音だ。しかし、そんな不協和音すらも包摂して、繰り返して、繰り返して、ゆっくり、音楽(かたち)になっていくのだろう。霧子の前では、不協和音はなかったことにはならないけれど、確かにそれが長く続く変奏の1つとして優しく包摂されていくかのような、少しだけ明るい展望が見えたような気がした。
ちなみに、今回貼っているYouTubeのリンクでは、Clara Haskilという女流ピアニストのものを選ばせてもらった。早逝した伝説的なルーマニアのピアニストであるDinu Lipattiを見出したAlfred Cortotが彼女のお師匠さんだった。シューマンやモーツァルトの演奏に定評のある演奏家だ、是非とも聴いて欲しい。

OO-ct. -ノーカラット

Lieder ohne worte Op.38-5 A minor, Agitato "Passion”

みんなの耳にこびりついているあの曲、Felix Mendelssohn Bartholdyの『無言歌集第3巻 Op.38 5. イ短調』、『情熱』という副題がついている。
実力世界のアイドルの世界において努力に並々ならぬ『情熱』を注ぐ美琴さんは、それまでの活動であまり日の目を見てきたかと問われればそうではない方だろう。コミュ内でもにちかにとっては到底弾けないような曲をやすやすと弾いてみせる彼女は、これを弾ける人は山ほどいるけれど、人の心をつかめるかはわからない。自動演奏を切って自分で弾いてみせたうえでそう語っていたのだから、なんて残酷なんだ…とコミュを読みながら思いました。

Home, Sweet Home (From the opera ”The Milanese Maiden Clari”)

https://www.youtube.com/watch?v=Y3xBLGrRSqk

お次はHenry Rowley Bishopのホーム・スイート・ホーム、邦題の埴生の宿のほうが有名だったりするかもしれない。
もともとはビショップのオペラで使われていた曲でシチリア民謡をもとに作曲された。掲載の通りしっかり歌詞がある。しかし、オペラの本編はすっかり忘れ去られてこの曲だけがずっと残り続けている、まるでロッシーニの泥棒カササギ序曲みたいだ。
ノーカラットは様々なところに「対比」の構図をねじ込んでいるが、コミュではにちかが〽たのしとも たのもしや と日本語で歌われるものとして受け止めている。一方で美琴は”Home sweet home”と原曲からこの曲を捉えている。この曲を巡っても二人を対比的に描いている。

モノラルダイアローグス

Konzert für zwei Violinen D minor ,BWV 1043

予告編から流れているこの曲はJ・S・Bachの2つのヴァイオリンのための協奏曲、それも第3楽章Allegroだ(上記リンクは1楽章からフルです)。
この曲は、対位法に拘って作られている。対位法というのは、音楽理論の一つで、複数の旋律を、それぞれの独立性を保ちつつ、互いに調和させて合わせていく技法のこと。いよいよ邂逅してしまった努とルカのバチバチのやり取りから推測される八雲なみの正体や美琴の過去についての考察を読んで震えるばかりだが、対話を通じて前に向き始めたかもしれない二人の関係性をこの曲で表現されたいるかもしれない。バッハは対位法を用いた曲の集大成ともいうべき曲を作りつつも、和声的なやり口も入れてきたいわば過渡期の人物。しかし、古典派・ロマン派と時代が下るにつれて対位法的ポリフォニーは廃れ、単一の旋律要素に複数の声部が和声を構築するホモフォニーが主流になる。
ちなみに、今回紹介した音源は、ダヴィッド・オイストラフとユーディ・メニューイン男爵の2人の共演、どちらも世界的なバイオリニストで、後者は指揮者としても活躍していた。
…いや、せっかくなので、『愛の喜び』とか『美しきロスマリン』で有名なフリッツ・クライスラーとロシア帝国の天才バイオリニストのエフレム・ジンバリストが共演したものも置いておく。1915年、オーストリア=ハンガリー帝国とロシア帝国は真っ向交戦中だったが、この二人はアメリカにいたので、このような共演が実現した。

明るい部屋

Les Anges dans nos Campagnes

クラシック音楽というよりかは宗教歌、賛美歌だろうが紹介しておく。邦題では『荒野の果てに』となる。
われらの野に天使が、人の集まる町や村から離れた野のはてに天の御使いがやってきた云々という意味のタイトル。イエスの生誕地とされるベツレヘム郊外で、羊飼いたちが、大勢の天使たちがイエスの誕生を歌い賛美している様子に遭遇したということを唄っている。

桑山千雪/【やわらかくうけとめて】


Suite Bergamasque - III. Clair de Lune

SHHisのコミュ以来、クラシック音楽ネタは鳴りを潜めていたと思っていたら、なんと千雪さんのマイコレの2番目のコミュ「音楽」で唐突に流れてきて横転した。Claude Debussyのベルガマスク組曲より、月の光、これはかなりの人が聴いたことがあるのではないだろうか。
このコミュについてはまだ考察らしき考察や解説も見当たらないし、カードが出てまだ日が浅いので、取り急ぎ流れた曲はこれだよという報告に留めておきます。また何か書くべきことがあったら追記するかもしれません。
今回ピックアップしたギーゼキングは、バッハやベートーヴェンという古典的なものからシェーンベルクのようなだいぶ時代を下った人まで幅広いラインナップを持っていたピアニストなのだが、ドビュッシーやラヴェルのピアノ曲の録音が今日まで有名だ。

おわりに

以上をもって、シャニマスのコミュタイトルの元ネタでクラシック音楽ネタが有るもの、コミュ内で流れたあの曲について一通り紹介できたと思う。
緋田美琴のCD棚にはまだたくさんの名曲アルバムが眠っていそうで、何かのきっかけでこれが開陳されないかなと気になっている。彼女のコレクションの中にブザンソン音楽祭のリパッティ最期のリサイタルがあったらいいなぁとか思います。


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