歴史の層を感じられる町〜2018年5月 台湾旅行記1・台南編〜
信頼のおけない旅行記を書いていきます
このGWに台湾へ旅行に行ってきました。
自分の思い出の記録として残そうと思います。旅行記というより写真集に近いです。今回は台南編(台北編と阿里山編も作る予定)。
なお、書かれている台湾に関する事実、歴史などに関する知識は、簡単な書籍や、拙い言語力で手に入れたものです。ゆめゆめ信じられますな。
台湾の京都、歴史の町「台南」
台南は台湾の中でも最初に開発が進められた土地だそうで、歴史遺跡や古い街並が残っています。台湾の方に「どんなところ?」と聞くと「日本でいう京都みたいな町かな」とのこと。
台南駅。向かいのショッピングモールから撮影。
わかりにくいですが、改札と直前の階段との間がタイト過ぎる。渋滞が発生していました。
駅前にマンゴーの木がある。
街路樹のはずだが、食べる気満々だ。
台湾のくまモンはニューバランスを履いている。
路地を歩けば遺跡にあたる
路地に入ると、こういう古い壁や家が見つかる。日本時代どころじゃない、清時代の壁らしい。
古すぎるため、レンガの接着には、穀物を利用した薬剤?を使っており、肉眼でも確認できるとのこと。舌切雀を思い出した。
ガイドさんには「ほんとだ〜」と言ったが、本当はよくわからなかった。どれ? 穀物。
日本時代の公会堂。清時代のお金持ちの邸宅・庭園の跡地を利用している。
中国庭園。コンクリを惜しみなく使っていて、なんかウケた。
時と風雨で、狛犬から石に還ろうとしていた。そもそも狛犬じゃないのか。
近くにカフェ有り。はじめて中国茶を飲む。左の細長い器は茶の香りを楽しむためのもの。文化。
やたら甘い芋。あなたが想像するより10倍酸っぱいです。
鄭成功にテンションがあがる
ここは赤嵌楼(せきかんろう)。なんの建物なのかをせつめいするために、ちょっと台湾の歴史をおさらい。
軍事、経済の要衝としての台湾
もともと台湾は原住民の人々だけが暮らす島でした。中国大陸にもその存在は知られていたとかいないとか、そのへんは良くわからないのですが、海流の問題で、大陸からはアクセスしづらかったらしいです。そこにいわゆる文明の手ががっしりと届くのは16世紀のこと。
中国大陸や朝鮮半島を荒らす倭寇の根城や、貿易を求めてやってきたオランダの根拠地に台湾は選ばれます。
台南はそんなオランダ人に最初に目をつけられた土地でした。赤嵌楼は元々オランダ人に砦として利用されていた建物だったのです。
その後、大陸で明が清に滅ぼされ、台湾に別の勢力がやってきます。「鄭成功」率いる明の遺臣たちです。彼らは台湾を拠点。ここで清に対抗しようと考えます。
鄭成功はまずオランダ人と戦い、これを追い出します。赤嵌楼は政治的拠点であったり、火薬庫であったりと様々な役割を担ったとか。そして今にいたる。
しょげるオランダ人(左端)と勝者・鄭成功(右側中央)。
ちなみに鄭成功の父、鄭芝龍は長崎を根城にした倭寇で、鄭成功の母は現地の日本人でした。日本史で勉強する近松門左衛門の『国性爺合戦』は彼をモデルとした作品です。
僕は子供の頃に司馬遼太郎の『大盗禅師』で鄭成功の存在を知った口で、赤嵌楼にはめちゃテンションが上っていました。
清の乾隆帝時代の石碑。清時代ということで、漢字とは別に満州文字でも書かれているのが面白い。石碑に掘られている龍にも注目。5本指の龍は皇帝にしか許されなかったデザイン。
赤嵌楼の建物の中は現在、天満宮のような学問の神様の社になっている。
学問の神様っぽくはないデザイン。
台湾の絵馬は履歴書つき。これくらいおおらかになりたい。
古い建物のため、登れる人数に制限が。緊張感。
台南の僕。大阪城のTシャツを着ていてバカっぽい。うさぎはどこでも豊穣と子宝の象徴
喉をかいてもらいたそう。
君は、歴史の層を見分けられるか
古い建築と普通の街並のコントラスト。台南では場所によっては「オランダ風」「中華風」「現代風」をひとつのアングルで捉えられるらしい。
オランダ時代、清時代、日本時代、中華民国時代と、複数の歴史の層が混在となっている点が、台南のおもしろさなのかな、と思った。
赤嵌楼の近くでおじいさんバンドがライブしていた。
言語の問題で、お金だけ払ってリクエストできなかった。
手書き看板が特徴の映画館。この建物自体が映画のセットのようだ。
すぐそばで描いてた。台湾でも手書き看板はもうほとんど残っていないらしい。
台南おしまい。
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