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どこでも日本が首をもたげる〜2018年5月 台湾旅行記2・阿里山立志編〜

2018年5月に台湾へ言ってきた記録その2です。台南編はこちら。

阿里山(嘉義)へお茶を買いに行く

「阿里山」という名前はなぜか知っていた。でも、何かの文章で読んだ記憶も、「ありさん」という音を聞いた記憶もない。

「地球の歩き方 台湾 '18」の中で既視感のあった阿里山の3文字を、僕はどこで目にしたのだろうか。

これだ。

会社の台湾人メンバーが帰省みやげで持ってきたティーバッグ。オフィスで飲んで味をしめ、僕は無断でいくつか自宅に持ち帰っていたのだった。

それから数週間後、コーヒーだけだった我が家の朝の食卓に、紅茶が仲間入りするようになっていた。

「この紅茶が育つ山か」

お茶のような名前の会社に勤める僕は、それだけの知識でこの山を目指すことにした。

麓の町で旅気分をそがれる

阿里山の麓には嘉義という町がある。地名の由来は中国・清朝のころ。反乱軍との戦いを嘉義(当時は諸羅山)の人々が懸命に戦い抜いたことを、時の皇帝が「嘉其死守城池之忠義(城を死守した忠義を嘉す)」と賞賛したかららしい。以上Wikipedia。要は歴史のある土地ということのよう。

嘉義駅。

嘉義駅近くの猫。

嘉義駅近くの猫と私。アレルギー持ち。

嘉義は後述するように、阿里山関係の産業で栄えた歴史を持ち、日本統治時代から大きな町だったらしい。

ここは、日本時代を起源とするお酒の工場であった場所。駅前にあり。この機械は中華民国時代のものかな。

現在は雑貨店などが入ったアートスペースとして利用されている。

いる。

台湾にきたのに、いたるところで日本が顔をもたげる。旅気分が少し削がれた。

日本村に日本人は僕一人

駅から少し離れた場所に、日本風の家屋が集まる公園のような場所を見つけた。

日本統治時代、日本人の集落があった場所だったよう。今は雑貨店や飲食店の集まる観光地になっていた。痩せます(腹をトリミングした)。

金沢。

果物を売っているのでしょう。きっと。

KANO。

これは台湾で2014年に公開された映画で、KANOとは「嘉義農林学校」の略。日本統治時代、KANOの野球チームが甲子園を目指した物語です。日本人、台湾人、台湾原住民の混成チームの戦いは、台湾の歴史と民族問題も織り交ぜた、台湾の人がイメージする”日本らしさ”を知るよい機会となった。中央に映っているのは、永瀬正敏だー。自分は最終日にホテルで見ました。八田與一も出る。

この檜意森活村には、永瀬正敏演じる監督(実在の人物)の旧宅もあったのである。

監督の家には甲子園の額。

野球アイテムがたくさん。

日本統治時代の物品。

何故か児玉源太郎がいた。四代目台湾総督。

ちなみに今回は撮影できなかったけれど、嘉義市内のロータリーには、KANOに出てくる呉選手の像があり、「まじで時のヒーローだったんだな」ということがよくわかる。

日本語にあふれて、辻利の抹茶アイスなんかも売っている。それでも自分以外はみんな台湾の人だ。日本人村で日本人は僕ひとり。

不思議な気分であった。

朝の散歩で日本がよぎる

旅先では、朝、当てどもなく散歩することが多い。おしぼりだか台拭きだかを干しているおばちゃん、観光客用の看板をのそのそ運び出すおじちゃんなど、観光地が観光地になろうとする“素の時間”を覗き見ることができる。

今回も散歩していると、宿の近くに大きな公園があった。

そのまんまの名前だった。

台湾はいたるところに孫文先生がいる。

まったくの偶然なのだけど、台南で見た石碑と同じものが。あとで調べたら、これ1つだけ、なぜか嘉義に持ち込まれたらしい。不確実な情報。

めちゃくちゃ自由な犬の散歩。ぜんぶこのおじさんの犬。見えないところにあと2匹います。

園内に孔子廟が。近くで児童たちが踊っていた。

園内に、突然日本らしい石灯籠が登場。

なんでも、かつてここに「嘉義神社」があったのだとか。いまは社殿はなく、社務所として使われた場所が地域博物館になっている。

日本統治時代ですね。

台湾の人。このあと手水の作法を警戒されつつ教えた。

狛犬を見つけると撮影してしまう。

狛犬を見つけると撮影してしまう。

狛犬。

狛犬。

社殿のあとは礎石だけが残っていた。

猿の石像も名物らしいと聞いた。

嘉義終わり。阿里山まで行けなかった。

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