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:0120 ネチケットが噛み合わない

わたしには精神的に病んでしまった友人がいる。
たまーに現れては精神的に病んだ生活をインターネットで報告してくれる。

わたしの親からすると、とても「はしたない」ようだ。
社会的に優位な立場に辿り着きにくくなるから「はしたない」。
素性が表れすぎているから「はしたない」。

この考えがどうしてもわたしには理解できない。
インターネットは現実世界の逃げ場として機能してきた。
誰かを傷つけたり責め立てたりしなければいい。
最近は、現実での頑張りを拡張して表現する場になってきた。
そうなると、「はしたない」を見せない仕草も必要になってきた。

なにを以って「はしたない」なのだろうか。
食べかけのカップラーメンの写真?
職場への不満?
風呂を倒す宣言?

詩を書いてなんでも言語化するわたしと比べると
親は「はしたない」「はしたなくない」をはっきり線引きできない。
する必要がなかったのだ。
ネチケットが噛み合わない。



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