『秋の小舟に桔梗竜胆』 | シロクマ文芸部(遅刻)
約2000字
りんご箱のすき間に横たわり、その日も舟にゆられてく。目を閉じて、ござをかけてもらい町から隠れる、くだものの香りに揺られて、櫂が水を掻きける音。
あおいお空もこの日なら、あたしは見えなくても悲しくならない。このお舟のなかだから。
まいにち町の合い間を縫うたくさんの小川を舟が行き交う、その仁平さんにあたしおはじきを三つずつあげて、お休みの日の度々に舟にのせてくれる、あたしを隠してもらう。
あたしはゆらゆらされるのが好き。
舟でからだをよこにしていると、櫂が軋み、水がなみ立つ、道上に町衆の話しごえや、その草鞋が地面を擦る音、犬の吠え声、たまぁに鳶が鳴いた。
ここにいるときだけ、なんもかんも係りがなくなる。そうして、音を聞いてるうちにねむっちまう。だから好き。
でもいつかはおこされて、いつもの市場の河岸に着く。河岸上のみなが、またまた仁平が娘売りにきたぞと笑う。仁平さん、なんにも顔に出さずに、きょうも重かろうりんごの木箱を、担いで男衆に渡してく。
「お手伝いしようか」
あたしはじめてそう言ったみたけど、にらまれた。こわかったから、舟にすわって仁平さんを見てた。
すわるとどうにも舟はかえってぐらぐら、止まっている舟があたし、ちっと怖い。そしたら仁平さんは器用にスタスタとこっち来て、あたしをひょいと持ちあげると河岸のへりに座らせた。
おっきな両の手。あたしをござの上に、なに、いつのまにござのお支度を。河岸に咲くおみなえしの花がおとなりさんでかわいらし。
そしてあたしは川面をうなだれて見た。じぶんのかげがゆらゆらしていて、揺れて日ざしが跳ねて、きらきら。まだ夕暮れにはとおいから、秋でも風があたたかい。
「ほらっ」と叩きつけるような女のひとの声がした、そっち見たら、女の手が仁平さんの懐に荷物を差していた。「一度っきりだよ、おもいっきりだよ」とそのひとが仁平さんの背中を叩いて、女のひとが走ってった。どんなひとだか顔が見れない。
そして、うつむいたままの仁平さんの両手に、あたしが抱えられて、舟に降ろされた。
「仁平さん」
答えやしない、どうしたの。仁平さんに櫂で石垣はこづかれて、ぐらっとしたら舟は岸をはなれた。
なんどか名前を言うたけど、仁平さん、答えてくれない。
いつもの筋を行く。進む具合がなんだかいつもよりゆっくりで、なんだか怖い。
あたしはござに隠れずに、舟にただ座って名前を呼んだ。この舟のへりを両手で掴んで。
仁平さん。仁平さん。ねえ。仁平さん。
「どうしたの、なんでうつむいてるの」
つかれて、あたしまで下を見た。
こわいよ。どうしたの。
どうしたの。
だまったまま、仁平さん、あたしの家のちかく、いつもの岸の楔に縄、くくりつけた。
がさっと音がした。顔をあげてみた。
仁平さんの懐の、さっきの女のひとの紙包み、あたしの鼻がくっつきそうなところにあった。すこし香る。
仁平さんの、おおきな両手につつまれた紙包み、そのなかに小さな、桔梗と竜胆の花が、ひとつずつ。
そんで仁平さんの揚げ煎餅みたいなごつごつした顔から涙が、もうぼろぼろ泣いていて、あたしおどろいてなんにも言えない、たぶんエサ待ちの鯉みたいな顔してた。
嫁になってくれと叫ばれた。川面の魚が跳ねたくらいでっかい声で、あたしまでひぃって叫んだ。
お舟が仁平さんのせいですっごく揺れてこわかった、それにこのひとが物言うひとだってはじめて知ったし、それに、なんだかわからないけどいくつこの人におはじきあげたっけなって勘定してしまって、それで、だから金貸しならおはじき利子くっつけて返してもらわなくちゃなってなんだか思って、だからなんだっておもいなおして、
そうっと、そぅっと、仁平さんのほうへ、両手をのばして
その桔梗の花、竜胆の花をとってみせた。
「お花を髪に挿して」
震えずにおくんなまし仁平さん、またこわい、鼻息があらい、手綱を引かれたハヤ馬みたいにぶふぅぶふぅと音をたてて、けれど、そっと花をあたしの両手から取って、
あたしのなんでもないかんざしのそばに、葉をちぎって川に流して、そっと二輪を。
できたかい、そう聞いたら、うなずいた。手を髪のうえにやる、花があたまに、たしかに。
自分の顔をはやく見たくって川面をのぞいたら、ぐらり、舟が揺れた、帯のところを仁平さんが抱いた。
川面にゆれるあたしの顔とあおい花がふたつ、そのむこうに仁平さんのおおきくて、でもおぼろげな影。
おなかを抱くその手をあたしは、そっとさわった。
「もう、きょうはこの舟から降りたくないよ、このまんま。夕べまで」
そしてあたしは振りむいたんだ。
はい、もうこれで旦那の話はお終い。
おはじきどうしたんだって、そんな舟の駄賃、あたし知らないさ。
初稿掲出 令和四年十一月十三日 正午あたり