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清シ此ノ夜、時ハ来マセリ  | シロクマ文芸部(遅刻)

約6000字 10章
本作品には不適切な表現が含まれています


1

ありがとうな、カブ。

「親父、まだ早い。そうでしょう?」

でもな、寿命ってのはテメエで決めつけるもんじゃねえ、いまが、なあ…… それかも、しれねえだろ。

「親父、子の分際でこんな物言い、あっちゃならねえって思いますがすみません、でもダメだ、俺はそれだけは許せねえ、納得がいかねえ」

深夜の病室だった。カーテンの隙間、その窓の外に雪が降っていた。

病床の老人は穏かに微笑む。

2

六三リクゾウと名付けられカブと呼ばれ育てられた三十前の男が、その名付け親が横たわるベッドのまえに、パイプ椅子にすわってうなだれていた。親を見ることができなかった。カブにもわかってはいた。

彼の親の健康保険証は国から支給されていない。だから事務所の金庫を開けた。

目の前のカブの指図で金庫のダイヤルを回す金庫番の『痩せっぽちのロッポ』を蹴りとばす背広を着た大男がいた。

そのゴンゾ厳蔵がカブを詰める。

「カブ、話もおさんでぇなんぞ勝手きままじゃあのぉ」

ゴンゾの胸倉を掴んでカブが言う。

「病名がわかった」

「言え」

「新型コロナウィルス、流行り病じゃ」

ゴンゾがカブの手を振り払った。しばらく無言でうろつきまわった。ゴンゾはその顔を誰にも見せたくなかった。しかし合戦そのトキの声のように叫ぶ。

「ッチ、っくしょウガァァァァア!!」

ガラスの灰皿を掴みそのままソファテーブルに叩きつけゴンゾは一撃でテーブルも灰皿も粉々に砕いたのだった、そして続ける。

「だから、だからぁ、オレ達ぁ言うたじゃないの。のぉ、医者にも役人にも、警察エノコロどもにもよぉ、こりゃあおかしいって、のぉ! オレ達が,きつぅい思いしてこの頭下げて、言うたじゃないの…… おかしい……おかしいですよ言うて…… しかしってあのクズ医者ども警察エノっコロども、様子みましょだの悪いようにはせんだの、なんじゃあ検査も碌にせんで、薄気味わるぅ嗤いよってぇッ」

ゴンゾはカブを見た。

「一週間ぞ!! 一週間! 親父も耐えたわ、そして俺たちも指くわえて、なあんもせんで、良い子にしてたわ、のぉ! それがぁ、それが、こンなんなぁ……」

ゴンゾは膝から崩れ堕ちた。

そして、砕けたテーブルの破片を握りしめ、掌から血を流しつづけたまま腹の底からの言葉にならない怒号を唸ったのだった。

カブはロッポに言う。「開けてくれ」

ロッポはコクコクと頷き金庫の扉のみっつのダイヤルを合わせると、戸をしずかに開ける。

カブが札束をひとつひとつ取り出す。

「ロッポ、まずみっつ持っていく。でも足らんようなら、またじゃ、開けてくれ」

カブがしゃがんだまま、ロッポの肩を叩いた。

「すまんの」

ロッポはカブの頭を手で寄せ、額をつけて眼を閉じた。

カブは応じた。「そうだったな。ありがとう」

眼をひらき、そしてカブは扉のなかをのぞいた。すこしだけ笑った。

「いや、また開けてもこりゃあ、もぅまもなくスッカラカンじゃあのぉ」

ロッポも笑った。

床から立ちあがり血をしたたらせたゴンゾが言った。

「ロッポ、ナナに集金を急がせろっちゃあ連絡せえ、スナック、クラブ、トルコ風呂、年末じゃ、どこも繁盛してよるわ」

3

ナナは、スナック路美のカウンターにひとりでいた。

背が高く、長く重くすこしウェイヴのかかった黒髪、分厚くけば立った黒いメルトン地の男物のコート、白い肌。

彼女の前には、ちいさなグラスが置かれ加糖ワインが注がれている。どの店にも、ナナはいつものカサカサに乾いた声で、まるで子どもの悪さの告白のように、ぼそぼそと小さく言うのだった。

「あたし、甘いお酒しか飲めなくて。それもはずかしいけど、これしかダメなの」

安いお酒が好き。そう言うこともあった。ただ、うつむいてはにかむ彼女のために、店の主人たちはよろこんで、ナナのためにそのあまり聴き慣れない加糖ワインのボトルを酒屋から取り寄せ、棚に置いた。ナナが来ることを拒む店はこの街に無く、ナナたちを拒んだ店にはただただカブやゴンゾたちが来て洪水に流された後のような災害に遭い、押し潰されて消えた。

あとはほんとうに、甘酒くらいしか飲めないんだ。

おそらく家出少女であろうサイズの合わない白いドレスのホステスを、サンタ帽をかぶった客の男たちがよってたかって触りつづけている。

ナナはたばこに火をつけた。

4

「はいスナック路美。ねえ、誰? ……あぁ! ナナちゃん!」

彼女は顔を上げ、ママのほうを振り向く。ママから受話器を差し出された。

「これ、無言電話」

ナナが受話器をうけとりながらマイルドセブンの箱をコートの内ポケットに入れる。

肩とあたまに受話器をくっつけてたばこを吹かした。

「替わりました」

受話器の向こう側で、6回、カツッカツッと、なにかがぶつかる音がする。

知っている人間なら受話器の話し口側を、爪で弾いた音だとわかる。6回。ロッパは話せないかわりに、身内に自分だということを伝えるときの仕草。直接身内が出ることを彼ら家族は嫌う。

「近くに渡して」そう彼女が受話器越しに告げる。

受話器の向こう側にカブが出た。彼らの父親の容態、金の工面、ゴンゾの荒れ様。淡々とした説明だった。

ナナはたばこの煙を吐く。

「そう。そうっか。うん、早く帰るね。こっちが終わったら電話する。じゃあ、すぐに」

店内はサラリーマンのカラオケが響きはじめた。

ぼうっと天井のほうを見ながら、ナナはもう一本のたばこを点けた。店の奥から蝶ネクタイをした男性が紙の菓子屋の手さげを両手で持って出てきた。

「ナナちゃんごめんね待たしちゃったね、これね、うちのかかあの故郷ふるさとん漬物なんだけど、いつものと一緒に入れといたからみなさんで食べてよ」

ナナはおどろいて主人のほうを見た。

「でも……」

「いやあ、もうクリスマスだってのに漬物なんかって、もしかしたら失礼だったらごめんね。でも美味しいんだよ、うちのと一緒で見てくれは悪いんだけどそこがまた」

カウンターのなかでたばこを吸っていたママが「ばぁか」と真顔で言っていた。ナナは笑った。

サンタのひとり、痩せた白いシャツの男が叫んだ。

「おいそこのまっくろカワイコちゃん、こっちぁビールなくなったけえ持ってこぉい」

ナナは吐いた煙の向こう側の、その声を見た。

5

ママは言った。

「いいのよナナちゃん気にしなくて。次のとこ、あるんでしょ」

「うん」

「早く持ってこい耳が無ぇのかよ片ワのブスが!」

ナナがもういちど振りむいた、肌はより蒼白く、その眼はただ的を捕える感覚器となる。

ソファ席の男たちは赤ら顔でニヤニヤとナナをみている。

主人がビールの栓を開けて、カウンターに置いた。咥えたばこのまま、ナナは瓶を見ず、しかし確かに片手で受けとった。

その主人の胸ぐらをママは掴み叩く「あんたッ、なにやってるのよ!」

彼女はビール瓶を片手にほほえみながら白シャツ男のほうへ近寄る。たばこをすこし喫って、床に捨てた。

主人はカウンターのなかで栓抜きを流しへガランッと音が立てて放りなげた。

「あちらはあちらのお仕事だ、俺たちはどうやらその後がお仕事で、今日はそれで終いだ。どうせあの客は一見イチゲンで地元の奴らでもねえ」

ナナは客たちの前に立っている。彼女を知っているホステスたちはカウンターのなかに戻っていった。
「こらっ、みんな客に勝手に帰っちゃだめだろう?」白シャツが呼びとめる。誰も振り向かない。

男たちの横暴に涙ぐんでいた白いドレスの少女だけが、いまはただ茫然としたまま残されている。

立っている男が、近づいてくる女を見た。

「こんばんは」ナナが言った。

「おぉ、来たねよしよし、こっちゃおいで」

「お仕事って、なにされてるんですか」

「学校の教師さ、ぼくなんていちおう教頭だからね、さ、そんな野暮ったいコート脱ぎなさい、いっしょに呑もうじゃないか」

男は泡のついたコップをナナのほうへ差し出す。

「せんせい。道理どうり。じゃけえドブ板ウラのボウフラみたいなツラが並んどる」

ナナは、立って話した白シャツの、となりに座っていた若い男の肩に、テーブルの南部鉄の灰皿をつかみ、力を抜いて振り降ろす。

若者は、形の変った肩を片方の手で押さえ、床でうずくまり呻いている。

「した脱げ、せんせい」ナナが言った。

ママが白シャツの横にいた少女の腕を、ちからいっぱい引いてカウンターのなかに入れた。

「ケツの穴からひと瓶イれて目覚めさしちゃる・・・・・・・・。良く酔えるけえ愉しかろよ。特別ご奉仕ですから払いはサービス料いい額になってしまうがぁ……とはいえ、うちらが世話しとる店でいたしたんじゃ。自らの自由意思による選択の結果、その帰結、なんだから、しかたないですよね、せんせい」

ナナは灰皿を捨てた。床に落ちてゴロンと大きな音がした。

そしてコートの内側からマイルドセブンの箱を取りだす。カウンターのなかから若い娘がサンタ帽を咥えて飛びだし、ライターの火を両手で出した。

まるで初めてのプレゼント交換会に出た子供のように、上目づかいにナナを見つめていた。

ナナはたばこの先に火を灯した。娘はライターを捨ててサンタ帽をかぶった。笑っていた。

娘にちいさな枯れた声をかけた。

「ありがとうね」

少女は涙をながした。

そしてナナは彼らのほうへ振り向いた。

「さ、やろか。早う脱げ」

6

ゴンゾの舎弟が運転するセダンにカブとナナも乗っている。

ゴンゾは言った。「金田ぁ、とぉろとろクルマ走らせるな、ここはデパートの屋上か。おい、やーっぱりよ、だいたいでぇ女は時間を守らないじゃないの」

「ちょびっとしごう始末に時間かかっただけじゃないのお兄ちゃん、それより手ぇどうしたの」

カブはゴンゾに尋ねた。「事務所には誰が残ってる」

ゴンゾは「最近入った貴島よ、暴力沙汰しかまだ知らんめぶい子供よ。それからロッポじゃな」と答えた。

ナナに、カブとゴンゾが頭をはたかれた。

「ねぇお兄ちゃんたち、あたしの話も聞いててよね!?」

カブは真正面を見たまま言う。

「……なんで俺まで怒られなぁいけんのよ」

ナナがカブをにらむ。

「そういうトコでしょ!」

7

病室の機器のブザー音が一斉にけたたましく鳴りはじめていた。

カブはそばに座り、今はただ、みずからの親の顔を見つめていた。

ブルーの防護服に身を包んだナース達が走って個室のドアを押し入ってくる。

「ご家族さん、早くどいてください」

カブは椅子から立ち上がり、それでも、顔を見つめつづけていた。

遠くから騒がしい声が聞こえる。

ドアを蹴り破ってゴンゾが、次いでナナが親の身のそばに寄る。マスクなどしていなかった。先に入室していた看護婦が大声を出す。

「ご家族はおひとりだけって言うたでしょうが! 伝染病ですよ!」

ナナが手をさわった。

「……お父ちゃん」

ゴツゴツして、暖かかった。頬をあてる。

「あたしのほっぺ、つめたい?」

「あの、お兄さんですか、この女性ひと退けてもらえませんか、処置が」

ゴンゾが笑って問う。

「なあ、もうほんとは、ええんじゃろ?」

室内の、すべて人間の動きが止まった。

カブも、なにも言わなかった。

「もう、ええんじゃろ、なあ、親父」

ゴンゾが続ける。

「ナナ、なぜ笑わん、いまが親父のいちばんエエところ、ここでわしら一家、みっつ揃って笑わんで、親父にどの顔憶えてんでもらうつもりじゃ? さ、笑え、カブ、さあ笑え!」

「そんなん…… お兄ちゃんたちの理屈じゃ」

ナナは父親の腕を抱き、みずからの顔を父の胸にうずめた。

「お父ちゃん、大丈夫よ、お父ちゃん。大丈夫だから」

カブは立ったままつぶやく。

「うちら、ほら、血の繋がりなんぞうても、確かにいい家族になったじゃろ……」

ゴンゾは笑いながら泣きながら、そしてカブの頭をぐしゃぐしゃに撫でた。

心音が波を徐々にひいていく。

すべての数値が鎮まっていく。

外に雪が降る。

積もってゆく。

8

病院玄関、その脇に立ち、ゴンゾがたばこを吸っている。

朝日が白雲のあいまを橙に照らし始め、昇る。

ゴンゾが、その光に向け喫っていたショートホープ混じりの息を吹きかける。

冷たい空気のなかで、なじったつもりの息はすっと消えた。

自動ドアが開き、カブが外に出てくる。

「金は」とゴンゾが聞く。

「まぁ、足りたわ、なんとか」カブは懐からたばこを取りだす。

ゴンゾがライターを点け片手でカブのほうへ向けた。カブはゴンゾを一瞥した、そして火を両手で覆い、たばこに点けた。

あの車は?

「こらこら指差すな。セダンで運転席助手席と二人しかおらん。鉄砲玉ならピンか、さもなきゃあ満貫で乗るところじゃけえ、まぁ刑事ってとこじゃろ」

どうする。

「挨拶に来たけりゃ向こうから越させえ。にても、これからのことが、俺にはわからん、見当つかん」

いままでどおりやるだけじゃ。

「一家の跡目継ぎじゃあ、その後見じゃあ、かならず出てくる」

去ね言うだけじゃろそんなミミズども。いまさら、なぁ。

「ミミズはおそらく耳がついておらん。うちらを死んだ肉と思うて這って喰おうと始めるじゃろ。そしたらおまえ、もういっぺん白鞘振りまわす覚悟、あるか六三カブ

厳蔵ゴンゾの兄ぃはまぁた素手じゃのナタじゃのバールじゃの土建屋だ農家だのの道具かい?

「ばかたれ、いもうと・・・・といっしょに空き缶撃ちくらいできるようになったわぃ、ほれ」

ゴンゾはムートンジャケットの裾をはだけさせ、ベルトと腹の間に挿したトカレフを見せた。

何処のかい?

「こういうんを安く撒くのが商売の気けと思うとるんが最近増えてきてるんじゃ、戦争させたいんじゃろう、うちらに」

ナナは。

「寒い言うてセダンのなかにおる。あいつも好きにするじゃろ、カタギになるなりなんなりと。やることにしたらうちらのなかで一等ひとの話をきかんのはあいつじゃ」

9

ナナはヒーターが効いた、後部シートに座っていた。

彼女が先に両手で構えた。

運転席の金田の耳の穴にトカレフの銃口をぴったりと付けた。

金田はゆっくり右手を上げ、ダッシュボードのうえにニューナンブを置いた。

「ナナさん、勘弁してつかあさい、こんな」

銃身を下げ、金田の腿を撃つ。ナナはそのあとにたばこを出して火をつけた。

警察共えのっころが流したか。待っててくれたお前のために、あたしよぉ、あつぅい缶コーヒー、買ぅてきたんじゃ。でも、もう、しかたないから、終わりの前に思い出話もあるじゃろう、あとでみんなで『ホームルームの時間』、しようか」

10

カブがセダンのほうへ振り向き、煙草を捨て靴で潰す。

「カブ、笑うとるの。なにがおもしろい?」

そう言った顔に指を差して笑った。

「悪いことだらけの、うちら一家のこの人生よ」


 
 
 


初稿掲出 令和五年十二月二九日 午前
最終改訂 同 正午前

本作品はフィクションです
実際の事件や団体、人物などとは
一切関係ありません


現実の新型コロナウイルス感染症については、厚生労働省のホームページなどで責任ある情報源からの正しい情報をご参照いただけますよう、お薦め申しあげます。


この作品はシロクマ文芸部参加作品です。ものすごーく遅刻して掲出しましたことを、どうかご容赦いただけたら幸いです。