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『ブランディングの科学』において否定されていたことの内、Webやアプリでなら通用すると思われるものたち

『ブランディングの科学』というマーケティング本

ブランディングの科学』という書籍がある。これはタイトルにこそブランディングという文字が入っているが、マーケティングの本だ。

その内容は、エビデンスを基に正しいマーケティングの法則を見出し、提示するというもの。これまでマーケティングの常識としてマーケターに広く信じられてきたもの、特にコトラーらによる理論が次々とエビデンスを伴って否定され、新しい法則・データが提示される。

紹介されるのは十数年〜数十年の研究に基づいたエビデンスたちで、確からしいものに見える。そのため提示される説も正しいもののように見える。

しかし引っかかったのは、同書の中で紹介されている法則やデータについて著者が下記のように、普遍の法則でありニッチを除きどの産業にも当てはまる というような書き方をしていることだ。

法則が広く一般的に通用することを証明するために、意図的にさまざまな実例を紹介している(序章 p.17)
その法則が自分の国の製品カテゴリーでは通用しないのではないかという心配は無用だ。(序章 p.18)
本書の理論を支える調査は、1回限りの出来事ではなく普遍の法則を発見することに着目しているという点において、巷の市場調査とは異なる(1章 p.36)

中身を読めば、たしかに同意できる章も多い。

しかし実践に身を置く私たちにおいて重要なのは、こういった研究やプラクティスを参考・学びとしつつも、自身の置かれているドメインにおいても銀の弾丸かのように鵜呑みにしない姿勢である。

実際同書においても、ITに身を置く身として疑問に感じる部分があった。本稿では、疑問に感じた点と疑問の内容を書いていくこととする。

注意:同書の中身についての要約・解説ではない

ブランディングの科学の中では多くの理論とデータが登場するが、本稿はそれらについて詳らかに解説したり、要約する内容ではない。

そのため本稿は同書の内容を既に知っている諸氏の方が読みやすいかもしれない。

そのまま本題に入るのは不親切かと思うので、書籍の内容を知りたい方向けに、企業や有志によって既に投稿されている要約・解説記事を下記に記しておく。同書を読んだことのない方はそちらを参考されたい。

・アレンバーグ・バス研究所 https://www.marketingscience.info/

・マーケターが陥りやすい「ターゲティングの罠」「ロイヤリティの幻想」https://www.advertimes.com/20180821/article275883/

・ブランド育成の"古くて新しい"処方箋は、マスマーケティングだ!【おすすめの書籍】 https://markezine.jp/article/detail/29550

・「ブランディングの科学」に学ぶマーケティングのリアル http://iroiromanabu.hatenadiary.jp/entry/branding

・【書評】『ブランディングの科学』は現代を生きるマーケター必読の教科書である https://jobotaku.com/how-brands-grow/

・【5分に要約】ブランディングの科学 https://sampling2x.com/2019/02/12/books-how-brands-grow/

1. 成長にはチャーンレートよりも新規顧客獲得の方が重要?

同書には、マーケットシェアとロイヤリティは比例するという「ダブル・ジョパティの法則」なる法則が登場する。著者はこれを以て、ニッチなブランドは独特なユーザー層を掴んでおりロイヤルティが高いとする従来の考え方を否定した。

そしてその法則を適用できるロイヤリティ指標の1つとして、顧客離反率(チャーンレート)が登場する。つまり、マーケットシェアが大きくなるに従ってチャーンレートも改善していくという論述だ。

更に、チャーンすることによる損失は新規顧客を開拓することによって得られるものに比べると遥かに小さい、とも説いている。

これには、チャーンレートを0%にして得られる可能性のある売上向上が市場全体比で最大1%であるのに対し、新規顧客獲得においては最大50%もある。という計算結果を紹介していた。

この根拠には、自動車産業のブランドスイッチのデータが用いられている。 また、成長率が高いブランドの顧客獲得率が高く、衰退しているブランドではチャーンレートは健全だが顧客獲得率が低い産業として、製薬会社とチョコレートメーカーも上がっていた。

たしかに、どんなにチャーンレートが低くとも離脱が0人になることは無いため、新規の顧客を獲得しなければ成長しないのは確実だ。その点に異論は無い。

しかしWeb・アプリにおいて、チャーンレートの低さ(裏を返せばリテンションレートの高さ)はこれらの産業ほど無視してよい指標だろうか?と疑問を持たざるを得ない。

何故ならば、現代においてWebやアプリには、サブスクリプションというビジネスモデルが存在するからだ。この特徴は既存の自動車、製薬、チョコレートどの産業にも存在しない。

(割賦制度などは古くからあるが、少なくとも同書の根拠とするデータの中には含まれていない)

この差は、チャーンレートに紐付いて計測すべき指標の違いにも現れる。顧客単価指標であるLTV(ライフタイムバリュー)だ。

サブスクリプションはLTVが低いと死ぬ

サブスクリプションには、一度に払う単価について買い切りよりも圧倒的に廉価だという特徴がある。

よって、もしサブスクリプションモデルを採用あるいは併用しているWebサービスやアプリにおいて新規獲得にかまけてチャーンレートを軽視すれば、LTVは損益分岐点よりも低い数値に留まることになる。

例えばAdobe製品は数年前に買い切りモデルからサブスクリプションモデルに切り替わったが、コンプリートプランであればその値段は下記のようになっている。

・買い切り時代(Adobe CS):¥71,020
・サブスク化後(Adobe CC):¥5,680/月

仮にAdobe CS時代の利益率を50%だとすると、¥35,590が単一商品としての損益分岐点となる。では、Adobe CCにおいてこの損益分岐点を超える(つまりLTVが¥35,590以上になる)ことができるのはいつだろうか?

それは、その顧客を獲得してから7ヶ月後である。
この時点でLTVは¥39,760。約4,000円の利益が上がることになる。

そして買い切り時代と同じだけの利益を出すためには、その倍の13ヶ月が必要になる(この時LTVは¥73,840)。

例え利益率がもっと高く90%だったとしても、1ヶ月でチャーンされれば¥1,400の赤字になる。

ここから言えるのは、サブスクリプションモデルを採用しているWeb・アプリにおいてチャーンレートを軽視することは、赤字への道を突き歩むようなものだということだ。

同上の理由から、たとえ市場の乗り換え動向によってマーケットシェアを50%拡大できる可能性があり、かつそれを達成できたとしても、短期間でチャーンされればその拡大したシェア分赤字がかさむことになる。シェア拡大と売上(LTV)は同期しないのだ。

赤字のまま成長する企業も存在するが、その中には、LTVが商品単一の損益分岐点を下回っている状態(いわゆる逆ザヤ)の企業は存在しない。

よってサブスクリプションモデルを採用しているWeb・アプリでは、チャーンレートよりも新規獲得が成長に効果的だとは言えない。

もしかするとWeb・アプリでなくともサブスクリプションモデルを採用する産業では同じことが言えるかもしれない(例えばジムもサブスクリプションだ)。

あなたの業界はどうだろうか?

2. チャーンレートはコントロールできない?

著者は新規顧客獲得の重要性を説くダメ押しとして、チャーンレートをコントロールすることは不可能だとも記述している。

顧客の離反をマーケターがコントロールすることは不可能だ。少なくとも、そのようなことのできる顧客サービスや類似のプロジェクトも存在しない(3章 p.65)

この実例として上がっているのが、オーストラリアの金融機関のシェア率とチャーンレートのマトリクス表だ。

それによれば、支店数が少ない金融機関は引っ越しなどの要因で離脱されてしまう。何故ならば、引越し先の近くにある銀行に口座を作ることになるからだ。そして作られるのは支店数が多い(=シェア率が高い)金融機関の口座になりやすい。

たしかにそうだろう。

特定の地域にしか支店が無い銀行の口座は、その地域を出てしまえば非常に利便性が悪い。それはオーストラリアも日本も同じだ。

熊本の肥後銀行の口座を持っていた人が東京に来れば、三菱東京UFJ銀行の口座を作りそちらをメインの口座にするに違いない。

そして熊本にも1店舗だけだがUFJはあるし、コンビニでも取り扱える。更に言えば熊本から東京に移る人は多数いるが、その逆は少ない。

なるほど金融機関においてチャーンレートはフィジカルな施策抜きにコントロールすることは難しそうだ。

しかし、Web・アプリではどうだろうか?

支店数、あるいはそれに相当するフィジカルな指標(例えば対応するデバイスやブラウザの種別)はチャーンレートをコントロールできない根拠になるだろうか?

まず地域の問題は電波があれば存在しないので、先進国において問題になることは少ない。

そもそも電波が無い地域では顧客獲得はあり得ないのでチャーンレートはnullであるし、電波のあるところから電波の無いところへ引っ越す数はかなり少ないと予想できる(つまり金融機関のケースとは逆だ)。

デバイスやブラウザへの対応についても、対応していないデバイス・ブラウザでは顧客獲得はあり得ないのでチャーンレートはnullである。

一方、非対応のデバイスやブラウザに乗り換えたユーザーはチャーンするだろう。特にアプリの場合、デバイスの乗り換えはそこそこの割合で問題になりそうだ。iOS(もしくはAndroid)にしか対応していないアプリは少なからず存在する。

だがこの点を評価するには、iOSからAndroidへ乗り換える率とブラウザを乗り換える率に関してデータが無ければならない。

まとめると、

・既存顧客は電波があり、対応しているデバイス・ブラウザの利用者しか存在しない。
・電波の有無によって起こるチャーンは無視できる。
・デバイス・ブラウザの乗り換えによるチャーンはあり得るが、乗り換えに関するデータがなければ評価できない。

よってWeb・アプリによってチャーンレートはコントロールできないとは言えない。

余談だが、iOSとAndroid両方に対応することやブラウザでの利用可能な率を90%以上にする(Chrome・safari・firefox・edgeの4つで達成)ことは、各地域に支店数を増やすことに比べれば圧倒的に容易である。

マーケターの提言だけでは遂行不可能というほどの難易度ではない。

3. ロイヤルティプログラムは成功しない(売上に貢献しない)?

ロイヤリティ・プログラム(スタンプカードなど)について書いた章もある。書籍の中ではこれを成功しないものだと明確に否定的な立場を明らかにしている。

ロイヤルティプログラムのロイヤルティ効果は非常に希薄であり、ブランドの成長に実質上何の貢献もしないことは明白だ(11章 p.238)
(前略)このような理由がありロイヤルティプログラムはそれほど効果的ではない。(11章 p.242)
もしブランドマネージャーたちがそのような法則の知識を持っていたら、ロイヤルティプログラムなどのような投資に何十億ドルもの資金を費やさずにすんだであろう(11章 p.242)

が、中身を読んでみると実際の記述はこの文章から受ける印象とは異なる。

要旨としては、

「成功しないと思われるが、そもそも計測が難しい。というより有効にロイヤルティプログラムを実施することが難しい。そのため理論的には成功の可能性も無くはないが現実には成功しない」

という内容だ。

ロイヤルティプログラムを促進し会員を募る最善の方法は、そのブランドのショップ、ウェブサイト、メーリングリストを使用しないことが示唆される。(中略)しかし残念ながら、ロイヤルティプログラムに内在する特性──ブランドの既存購買客に変偏する傾向──を克服することは極めて困難だ(11章 p.242)

このような言い方になっているのは、ロイヤリティ・プログラムを有効に実施するための障害としてメンタル・アベイラビリティ、フィジカル・アベイラビリティがあるからだ。

それぞれが障害になる理由は次のように記されている。

メンタル・アベイラビリティによる障害
プログラムのボーナスによりメリットを想像しやすいのはロイヤルティが高い顧客なので、ロイヤリティが低い顧客よりも参加率が高くなってしまう(要約)。

フィジカル・アベイラビリティによる障害
プログラムを知る機会はロイヤルティが高い顧客の方が多いため、参加者の内多くの割合をロイヤリティが既に高い顧客が占めることになってしまう(要約)。

つまり著者の主張は、プログラムに参加してくれれば効果が見込めるであろう「ロイヤルティが低くかつヘビーバイヤーな人たち」にのみリーチし、しかもプログラムに参加してもらうことが難しいということだ。

この状態ではたしかに、ロイヤルティ・プログラムは機能しないため効果が低く実施する価値は無い という旨で書籍に紹介されているエビデンスが有効だ。

しかしこのフィジカル・アベイラビリティとメンタル・アベイラビリティによる問題は、Webやアプリでは問題にならず、そのエビデンスは適用できないように思われる。

何故なら、この問題は回避できるのだ。

ロイヤルティの高低もヘビーバイヤーか否かも、Web・アプリにおいては観測することができる。かつ、その層にのみロイヤルティ・プログラムへの参加導線を提示するよう出し分けることが可能だ。もちろん、ヘビーバイヤーではないロイヤルティの低い層についても同じことが言える。

これなら、もともとロイヤルティが高い層がプログラムの計測のノイズになること(つまりプログラムが意味を為さないこと)を避けられるし、彼らにむざむざ特典の無料券を渡すことも無い。

またロイヤルティの低い層にのみリーチするので、メンタル・アベイラビリティによってロイヤリルティの高い層が多くプログラムに参加するというノイズも生まれない。

よってロイヤリティ・プログラムは、Web・アプリにおいては効果的な実施と計測が可能である(成功するかは未知数)。試す価値が無いと切り捨てるのは拙速だ。

一読の価値アリ

ここまで堅苦しく批判的な内容を書いてきましたが、とはいえ、エビデンスに基づいた科学的なマーケティング観が養われる良い本であることには間違いありません。

差別化に傾倒するマーケティング理論を突き崩す著者の主張と研究は快感ですし、また、マーケティングという実践が重視される領域において、多角的に明確なデータを示す書籍は貴重かと思います。

紹介した章以外にも多くの法則・データが紹介されているので、マーケティングに関わる皆さまにおかれましては、是非ご一読をおすすめします。

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