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箸袋からのメッセージ ーちょっとした箸袋文化史ー 第6回 箸袋と楊枝

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全編内容
第1回 箸袋はいつからあるのか(その1)
 1 箸のはじまりと箸袋
 2 「箸包の礼法」は中国から学んだ?
 3 中国における箸
 4 唐包(とうづつみ)と折形(おりかた)
 5 箸包(はしづつみ)の誕生
 
第2回 箸袋はいつからあるのか(その2)
 6 長崎発の卓袱料理・普茶料理が広まる
 7 江戸の料亭における箸包の変化
 8 普茶料理・卓袱料理に箸包はどうして登場したのか
 9 会席料理の発達
 10 幕末、一般の料理店でも箸紙・箸袋
 11 明治期の志那料理
 
第3回 割箸の登場と箸を入れる物の様々な呼び方
 1 割箸の利用とともに庶民が箸袋に接する機会が増える
 2 衛生箸と消毒箸
 3 割箸廃止運動
 4 完封箸?でさらに衛生的に
 5 完封技術は箸以外にも
 6  箸筒(はしづつ)・箸立て・儲ヒ(ちょひ)
 7  箸紙(はしがみ)
 8  箸包・筯包(はしつつみ)
 9  箸袋
 10  箸差(はしさし)
 11  箸箱・箸筥(はしばこ)
 12  箸入
 13 箸ケース
  14 振り出し箸
 15 筷子包・筷子袋・筷子套
 16  袋紙
 
第4回 箸袋の様々な言い方と大きさ・形・材質
 1 御箸・おはし
 2 御手茂登・おてもと
 3 御筴(おはさみ)・お手前
 4 はしの袴
 5 箸袋の大きさ(長さ・幅)
 6 箸袋の形
 7 折紙タイプの箸袋の口にもいろいろある
 8 材質
  (1) 布
  (2) 紙(奉書・パラフィン紙・ハトロン紙・電球包み紙・クラフト紙)
  (3) 経木(きょうぎ)
  (4) 非木材紙
  (5) プラスティック(合成樹脂)
 9  祝箸と箸袋
 10 水引付き箸袋
 11 外国の箸袋
 
第5回 箸は横に置くのに、縦書きの箸袋があるのは?
    /縁に沿ってるラインは何?
1 箸は本来横置きだった
2 箸袋は基本的に縦書き?
3 折紙タイプの箸袋にあるライン
4 袋タイプの箸袋にあるライン
 (1) 単線ライン
 (2) 差入口の登場
 (3) 複線ライン
 
第6回 箸袋と楊枝
第7回 箸袋にはどんなメッセージが書かれているのか?
 メッセージ1 店名(屋号)や会社名(商号)
 メッセージ2 店のあいさつ
 メッセージ3 家紋やロゴマークを表記して、認識しやすくしている
  その1 家紋
  その2 文字紋
  その3 家紋以外の紋章
  その4 ロゴマーク
  その5 登録商標
  その6 店名や料理にちなんだ絵・模様
  その7 店舗などの絵・写真
 メッセージ4 店の場所・住所等、電話番号、営業内容をアピール
  その1 本店・支店・チェーン店などの掲載
  その2 営業案内
 メッセージ5 料理名や料理分野をアピール
 メッセージ6 サービス内容(店の売り物)を絵やお品書きなどで表現
 メッセージ7 店の「味」や「心」を強調
 メッセージ8 金言・心得
 メッセージ9 店自慢、郷土自慢(名所紹介)、唄(歌)自慢
  店自慢 その1 キャッチフレーズ 元祖・創業〇年
  店自慢 その2 美術品(書画)
  店自慢 その3 俳句・和歌
  ふるさと自慢 その1 名所紹介
  ふるさと自慢 その2 美しい山々
  ふるさと自慢 その3 民謡・歌謡曲紹介
  ふるさと自慢 その4 民芸調をアピール
 メッセージ10 店の経営理念をアピール
 メッセージ11 箸の使い方を教えます
 メッセージ12 箸置きの作り方を教えます
 メッセージ13 環境にやさしい箸をつかっています
 メッセージ14 朝と晩は箸袋も変わります
 
第8回 食堂と箸袋
 1 デパート食堂
 2 劇場食堂
 3 列車食堂・駅構内食堂
 
第9回 東京の料理屋の古き箸袋/ユニークな箸袋
 1 東京の料理屋の古き箸袋
 2 記念箸袋
 3 割引券・引換券・おみくじ付き
 4 便箋に使える箸袋
 5 情報満載!(メンバー募集・お客の要望・追加注文)
 6 QRコード付き
 7 コマ漫画で食べ方紹介
 8 アマビエ登場

あとがき

1 楊枝



 第1回の5「箸包の誕生」のところで述べたように、元禄9(1696)年刊行の『茶湯献立指南』巻2の「御成式正献立 御本膳」には、「御箸紙ニ包 脇ニ楊枝紙ニ包」とある(写真8再掲)。
 

写真8『茶湯献立指南』巻2「御成式正献立 御本膳」(「国会図書館デジタルコレクション」より)

 この楊枝は、歯ブラシの前身のような丈の長い房楊枝というよりは、歯間に挟まったものを取ったり食物を刺したりする今の楊枝につながる爪楊枝(妻楊枝)或いは小楊枝であると思われる。樋畑雪湖の『江戸の楊枝店』(『江戸時代文化』1927-02)によれば、江戸堀江町に猿屋という有名な妻楊枝の店が享保の頃には一家を成していたとあり、江戸時代中期には爪楊枝(小楊枝)が社会に大きく広まっていたことが知れる。

 この爪楊枝(小楊枝)がいつから箸袋の中に入れられるようになったのか。江戸時代の料理本には箸と楊枝をともに包むと記されているものがあり、楊枝を箸と同封するのは結構時代が遡るようである。『茶湯献立指南』(巻2、元禄9(1696)年刊)をみると、各献立には必ずお茶と茶菓子が付いており、楊枝はこの茶菓子用であり、現在の弁当などについている楊枝とは少し役割が違っていた。『女子書翰文』(香蘭女史 明治41年)には、蒸菓子を食べる作法として、「箸或いは楊枝で菓子を菓子器より紙の上に取り、指頭で菓子を二つに割り食べる」とあり、取り箸のような役割を果していたことがわかる。楊枝は古くから歯を清潔にする用具として用いられ、駅弁に付く楊枝も食後に歯をきれいにするためであったが、最近では歯の病気を予防するものとしても作られている。

2 爪楊枝(小楊枝)が箸袋に封入された理由


 それは、食事の際に使用するに便利であっただけではなく、衛生的であると考えられたことが大きい。新しい千円札の肖像として用いられる北里柴三郎は「小楊枝の多くは之等黴菌製造所とも云うべき貧民長屋の病者の手先で削られるのであるから、思へば実に危険千万である。故に小楊枝は必ず消毒の上使用するがいい」(『日本警察新聞』1915-08)と説いており、伝染病予防などの為に料理店や旅館等でも安全な箸や小楊枝を出すことが客を待遇する道として奨励している(北里柴三郎『伝染病予防撲滅法』明治44年)。
 当時、箸を袋に入れ封じ、「衛生箸」と称していたが、それだけでは不十分ということを北里は指摘しており、度重なる疫病の流行により衛生思想が高まっていた社会情勢を背景に、この頃から蒸気などによる消毒をしたうえで封入することが始まった。

 写真76は、東京銀座数寄屋橋の「寿司栄」の箸袋とそこに入っていた楊枝で、大正期のものである。

写真76 楊枝入り箸袋(大正期)

 袋タイプの箸袋で、大きさからみて割箸が入っていたものと思われる。楊枝がそのままこの箸袋の中にあったが、長さ6cmと現在のものと変わらず、形は平べったく、断面は長方形で先端が細くなっている。
 仲島忠次郎『はしぶくろの旅』(『観光お国めぐり1』国土地理教会 1959)に「戦前は割箸の割目に、爪楊枝を挟んだものがあったが、近頃はそんなものは稀でしかない。」とあるが、こうした断面が四角くて平べったい楊枝であれば、今の丸いものと異なり、割箸に挟むことも容易であったと思われる。
 現物は確認していないが、大正期より前の明治後期には、割箸の普及とともに袋タイプの箸袋が登場し、中に楊枝を入れることも行われたと考えられる。

写真77 楊枝入り箸袋(昭和22年以前)


  写真77は、電話番号の市内局番がまだ数字になっていないことから、昭和22年以前の箸袋と思われる。これを見ると、平たい形状であることがわかる。「萩乃家」は明治24年、京都駅開業とともに駅弁屋として開業し、現在もある店である。「緘」という封印が朱く押されており、封緘されていたことがわかるが、戦前に盛行した消毒に関することは何も記されていない。

 昭和16(1941)年2月6日付け商工省告示第90号では割箸及び爪楊枝の販売価格を指定しているが、そこでは杉製裸割箸、機械製裸割箸、袋入割箸に区分しており、袋入割箸については、「ロール紙の小袋、爪楊枝附」とあり、紙袋に割箸と楊枝が入っていたことが知れる。この「爪楊枝」は、「妻楊枝」とも書くが、同じ昭和16年の『広島商工人名録』には「消毒箸妻楊枝印入調進 宮島産物 卸問屋 森光商店」と記されている。安芸の宮島で参詣人めあての土産物として妻楊枝が作られ始めたのは、飯杓子より古い天正年間に遡るとのこと(注)。
 
 なお、この『はしぶくろの旅』には、戦後、楊枝は箸袋から出して、独立した小袋に入れるようになったとあり、店名のみが印刷された小袋に入った楊枝は、今も多く目にすることが出来る。楊枝小袋は箸袋に比べて小さく、メッセージを書くのには適さないが、QRコードなら、十分に印刷可能である。実際には見ていないが、QRコード印刷の楊枝小袋というものが出来れば、コレクターの目に留まるようになるかもしれない。
 
 別の小袋に入り、箸袋と別々になった楊枝であるが、完封箸(第二回4参照)の登場で密封性が高まると、楊枝は再び箸袋の中に入るようになる。現在コンビニなどで使われているものは、この手のものが主流である。

 しかし、変化は激しい。こうした完封箸の中に、最近、「環境に配慮し、つまようじを省きました。」というものも登場しており、箸と楊枝は再び別れるものが出てきたのである。付いたり離れたりと、まるで男女の仲のようである。
(注)『経済風土記 中国の巻』(大阪毎日新聞 昭和7(1932)年)

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