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記号ではなく、個人そのひとを

相変わらず、ワタシは人間を記号として固定してしまっている。そう気づく。「生きていれば、いいことがある。だから死ぬな。」そういう人間は、その人間を「死にたくてたまらないほどツライ」という風に一般記号化する。その人自身をみているのではなくて、「死にたいほとツライ人」という記号だけしか認識できていないのではないかと。

ワタシもこういうことをする。いやもしかすれば、そのようなことしか成していないかもしれない。「友達」という記号を通して。「敵」という記号を通して。「父」や「母」という記号、「先生」という記号、「生徒」という記号、「知り合い」という記号。「後輩」や「先輩」という記号。記号だらけ。ラベリングだらけ。これが行き過ぎると、「○○人が~」「○○人は~」という意味の分からない記号化が起こる。

一人でも、海外の人間と話し、いや多くの人間と関わり合って、「○○人」という風にめちゃくちゃ主語を大きくして語るのは、理解出来はしないが、まだマシ。けど記号が支配しつつある社会では、人間もまた人間を記号としてしか処理できなくなるのだろうか。うーん。

記号といっても、言語もまた記号であるから、畢竟人間の活動の多くは記号を介しているじゃないかと言われるかもしれないけれど、それは違うかなと感じる。人間という存在を、過記号化することが、ちょっと変なのではないかという疑問がここでは問題だ。例えば、「敵」である人間がいたとしたよう。しかしそのような人間は存在してはいない。それはあくまで言語や空想(妄想)の中でのものであって、「敵」が実在しているわけではない。ということは、「友」という人物も実在してはいない。おそらく、人間のあらゆる関係を表現する言葉は、「実在存在」に対してではなく、記号やイデオロギーという一種の仮定に付着しているだけではないのかと思うの。

その人を、個人として見たときに、どういう人物であるかが気になってきた今日。友達とか、そうでないとか。そういう余計な記号を取り払った時に、何が見えるのだろう。ワタシは、「友人」としての人間を知っているかもしれないが、その人自身として人間を知っているわけでは無い気がする。フィルターが邪魔をする。

2016年に、その名を馳せた「君の名は。」という作品がある。(ネタバレ注意です。)「君の名は。」という作品において、主要人物である「瀧」と「三葉」という少年少女は、お互いの名前も知らない。誰であるかも分からない。覚えている限りでは、かたわれどき(誰そ彼/黄昏?)に出会ったその二人は、お互いの名前によって初めてお互いの存在をハッキリとしることになります。つまりは、「名前」以外に、目立った情報(或いは記号)が無いということ。彼ら二人が知るのは、彼らがどのような関係性にあるかという情報ではなく、「名前」のみ。そして作品の最後にも、彼らがこれから知るとされている情報は、「名前」という記号なのです。

「名前」も確かに一種の「記号」です。しかしそれは、人間の関係性を表現するあらゆる表現とは、一線を画していると考えます。その名前こそが、人間が人間を、その人間であると識別することの出来る、最強の記号だからです。決して一般的でも、普遍的でもない。しかし裏を返せば、識別可能という点においては、その具体性や特殊性の右に出るものはありません。

ワタシは、「瀧」と「三葉」の関係性を、一種の理想だと考えます。これは完全にワタシの予想ですが、彼らは互いの関係ことを、「瀧」と「三葉」という以上のことばで語らないような気がします。恋人でも、知り合いでも、超仲良しでも、恋仲?でも、またその他の「関係」を表現する言葉を使わない。彼らはおそらく、互いにただの「瀧」と「三葉」であって、それ以上でもそれ以下でもない。抽象的な記号の入る余地がない、人間の関係。その関係を表現する言葉も、おそらく存在しません。

「君の名は。」って打ったら、変換で「おめさん、だっら。」って出てきたけど最近の変換機能は方言(?)変換までしてくれのか~と。ごめん関係ないね。「君の名は。」と言葉を交わし、「君の名は。」という作品はその紙幅を止める。「名」しかない関係性、余計な記号の入る隙間も紙幅もない。誰とどうであるかという関係性と表現や思考の固定化へのアンチテーゼとして、ワタシは「君の名は。」を捉えてみたくなった。

さて、なぜ「君の名は。」を参考にしたのかというと、彼らの関係性は、個人そのもの同士であるからと考えたからです。「名前」と、言葉に絶対に表せない(存在していないことになってしまった)時間と出来事の連鎖。現実にはあり得ないかもしれませんが、ワタシはなんとなく、余計な記号など棄てて、ただそうであるという人間の像を捉えたいなと感じました。(しかし、全く記号が無いというわけではありません。)

とはいうものの、このご時世直接人とばんばん会うわけにもいきません。記号としての人間が強くなってしまうそうで、ちょっと怖いですね。




今日も大学生は惟っている



参考文献

新海誠.2016.君の名は。.角川文庫



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