見出し画像

君が這い蹲る姿を見たくなかった

深夜に衝動のまま書いた幸村精市への文章です。
4th批判をしたい訳ではありませんがそう捉えられかねない表現もあります。予めご了承ください。
読了後の苦情は受け付けませんが論拠のある批判には対応します。

 君が這い蹲る姿を見たくなかった。病院着を着て、スポットライトに照らされて、こちらに躙り寄る君を見たくなかった。
 記憶が確かなら一幕が終わる時。立海大付属中の冬から春、初夏にかけてが描写される。幸村が帰宅途中に駅で倒れ、入院し夏服のレギュラー陣が励ましに来る。そして関東大会の結果を報告する真田に対して慟哭する幸村。そしてその悲哀を、激情を彼は歌い上げる。
 この一連の流れを今回の4thテニミュ関東立海では描写した。正直見たくなかった。
 原作では全国大会決勝での立海戦、S1内で回想されるものだ。そう、時間軸的には正しいのだ。激昂する幸村は関東大会中の出来事である。間違っていない。
 でも、今君の弱い姿を見たくなかった。原作で幸村の過去を描写していなかったのは、メタ的に考えれば許斐剛先生がまだ幸村の設定を詰めていなかったのだろうと思う。しかし考えた上で描写しなかったとしたら、やはりそれは幸村の底知れない実力を演出したかったのだと思うのだ。
 「手塚が7人いる」と評された全国3連覇目前の立海大附属中。率いる真田の苛烈さに青学は驚くが、その人間が副部長であることにも衝撃があったはずだ。端々のシーンで登場する優しげな病院着を着た少年。それが王者立海大を率いる部長であると私たちは誌面を通じて知る。
 以前の、3rdまでのテニミュと比べることはあまりしたくない。ジャンルには新陳代謝があるべきだし、テニミュ定番となった演者の卒業も、4thからの演出刷新も必要なことであると思う。関東氷帝も、六角も好きだった。でも今回の関東立海公演一幕終わりの演出にはやはり以前の演出が好きだと言わざるを得ない。
 ダブルスの試合で立海大が大幅なリードを得た後の、冬の立海の回想。「負けることの許されない王者」。曲名も歌詞も、自分達の負けることの許されない理由を、無敗・勝利という言葉で距離を隔てていても繋がっている立海の絆を表している。そして幸村は病院着からユニフォームへ、ベッドから冬制服を着て一列に並ぶ立海レギュラーよりも高い位置へ。強く、立海を率いる部長としての姿。それは時間軸ではあり得ないもので、せっかく配役したのに病院着出番しか無いのは……というミュージカル上の演出なのだろうとも私は思う。でもその演出が一番好きだった。彼がかみさまのようにみえるから。
 勿論幸村精市はただの人間である。立海大附属中学校に通う、ガーデニングが趣味の、絵を描くことが好きな中学3年生である。でも彼はことテニスの領域では神の子と言われる力量を持つ。ただの中学生が、神聖視される異常さはあれど、卓越した実力があったのだろうと思う。
 そしてその神格が崩れる瞬間を私達はもう知っている。全国大会決勝S1、越前リョーマとの対決、そして敗北だ。あるいはその敗北の決定打、天衣無縫へのトラウマを克服し未来へと一歩進んだ世界大会準決勝ドイツ戦対手塚戦とも言えるだろう。
 実際原作で幸村の病気について詳細に語られるのはリョーマと戦っている場面である。
 彼の神聖性が崩れるのはそこでいい。天衣無縫のリョーマが放ったサーブに反応出来ずに、最後には幸村のコートに真っ二つに割れたボールが叩きつけられるまで、常勝立海の、幸村の神話性は崩れないでほしい。まだ誰にも侵されない神の子でいて欲しい。青学が彼の実力を伝聞でしか知り得ない状態で、物語上青学が見ていないとはいえ、まだ病室での激昂を、幸村のただの人間として弱い部分を見せて欲しくはなかった。
 これは私の勝手な願いだ。関東立海時点の幸村に神の子で居て欲しいというのは私のエゴだ。たかだかワンシーンにこんなお気持ち長文を書くのが憚られるくらいには良い公演だった。演劇にしてはまぁ長尺ではあるが、全体がハイレベルだった。青学は卒業公演ということもあり完成されていると感じたし、立海もその青学に劣ることのない歌唱と演技だった。該当シーンも、素晴らしかったんだ。迫真の演技に、切迫した歌唱だった。上手くて、うまいからこそやっぱり受け入れられなかった。
 演出側の意図も理解できる。両校不在の部長である手塚と幸村を対比したいことはわかる。わかるのに受け入れられなくて悲しい。これは私の感情だから誰に支配されるものでもないけれど、たくさんの人が好意的に受け入れている演出をここまで楽しめないとは思わなかった。
 どんな幸村精市も好きだ。君が真正神の子であろうと、飯盒を爆発させるちょっと抜けたただの人間であろうと、どんな君も幸村精市の切り取られたひとつの側面で、そのものの幸村精市を愛おしく思う。恋愛感情ではなく、最早崇拝や憧憬に近い感情で、この愛は敬愛という種類だと思う。君が敗北を通して人間に近づいていく様が好きだ。テニスに対してこれからどのように関わっていくのかが楽しみだ。
 だからこそ、この関東立海ではまだ神の子で居て欲しい。常勝立海の旗印、病床に臥せることによってより神格を高めてしまったような、レギュラーの精神に深く根を張ってしまった彼の、弱いところなんて見たくない。だってレギュラーはベッドに横たわる神の子のために勝利を持ち帰るのだから。勝利が彼らをつなぐのだから。
 君が這い蹲る姿をまだ私は見たくなかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?