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学びを終えること。内側への道が見えた気がする。

10月13日の下書きを消すのも
なんなんで、そのままアップ。
冒頭記事にしておく。

もう、学ぶのを終わりにしよう。

ふと,湧いてきた。
そう、常に外からなにかを学ぼうと構えている気がする。
もう
今更
何を求めているのか?
そんな感覚と
いゃまだまだと汚染されてる脳内が
引っ張る。

ここまで

今日は15日。
たった、2日しか経過していないのに、この記事のアップが出来ない心境になっているのだ。

でも、下書きが溜まるのは嫌なので、無理矢理にでも書く。笑
削除してもいいのにね(笑)

ま、どうでもいいわwww


わたしは「優しくない」。
本気でそう思う、し、思ってきた。
貪欲で、でもそれを自覚してないから100円200円をケチっては人から奪おうと画策し、根底の欲望を見透かされて、信用を無くす(笑)

あかん奴やん😆
でも、ええねん。
もう、諦めた。


うちの夫は最近こんな言葉を使うようになった。

例えば食事に行く。
最近、外食の額が値上がっている。
金額に関係なく食べたいもの食べよう!とか言いながら、結構高額なお店に入ったりする(ま、うちらの高額ってしれてますが)

そして、支払い時に「ご馳走様でした」と言うと

僕一人で稼いだんとちゃう。
二人で稼いだんやから、僕だけとちゃうで。

って。
書いてて泣いちゃうわ。

こないだめちゃ高額な買い物をしてしまって、分割でこっそりなんとかしようと思ってたのに、分割が出来なくって(^◇^;)

どうしようもなくて、話すことにした。
そして、娘に貸して貰おうと思ってるとこくはくした。

すると、大丈夫、僕がなんとかするから。
欲しいものを買ってあげられなくてごめんくらいの勢いで返事が返ってきた。

でも、これからは無いのに買わないでねとも。

彼は彼で、色々と思っててくれたんだ。
息子の奨学金も本人が生活を工面して支払いしてることも、払ってやれないって。

金髪の彼女に髪飾りを買ってあげるのに、金の時計を売ってしまった彼の為に金髪を売って時計の鎖を買った彼女のお話みたいだと思った。(くどくなるので、句読点もなしで連続して書いてみた)

わたしの仕事といえば、特に外銭を稼ぐようなことは出来ていない。
月に一度のカフェも、特に原材料の回収くらい。
人の流れも多く作れもしないし、大きく背中押しにも繋げられていない。

やっていることとしたら、日々、二人で暮らしていること、わんこの世話をしていることくらい。

植物の世話も上手でないし、近所付き合いもうまく出来ない。自分を整えることもうまく出来なくて、とにかく出来ることは場の整え。
つまり掃除🧹くらい。

夫にしたら、今こんな広い家もいらないだろう。
道具もこんなに必要ない。
鍋なんか何十個とあるし(笑)

わんこなんて、ある日彼が帰宅したら「既に居た」のだ。
この家にいる理由は、このわんこたちが居るから。もし、この子達がいなくなったら、この家は二人にしたら広すぎるもの。

だから、実は余計なことをしたのかもしれない。し、今も余計なことをしながらしか生きてないのかも知れない。


それでも、わたしが日々、遊んでいられるように、彼はわたしの機嫌を優先してくれる。


なかなかに、涙と鼻水が出て、書き進めない笑
携帯電話の充電がヤバくなってきた。


何が言いたいかというと。


わたしは、夫になにか返さなくては、生存させてもらっているのだから、その対価を生み出さなければならない、消費しかしていない、貢献できていないと、思い続けて、金髪を(じゃないけど)切り続けている、そしてそこに飾る髪飾りを受け取ろうとしないんだって。

ここまで書くのに、鼻水ティッシュが
テニスボールになった。


アホとバカが入り混じっているので、ヘンテコな文章でスマヌ。
伝わってるかな?(笑)







わたしは大事にされている。






気づくの遅っ。
鈍感過ぎて、情けない。
読んでくださっているみなさまはきっと「んなこともわかってなかったの?」と思うだろうか。
そんなもんかな?

いや、気づけたことを喜べばいいのかな。




病気絡みの人の記事を読んだ。
人の優しさが溢れた記事になっていた。
が、
特に羨ましいとかなくて(笑)
ただ、そうやって欲しいものを得ていくのもありだなと感じた。

で、自分の今の生活をよーく観察したら。。。。。


『わたしは、家という「病院」に入院している患者』なのかもしれない!


と、気づいてしまったのだ。



わたしはすこぶる元気です。
特に病院のお世話にならなければならないものは持ち合わせていませんよ笑
ただ、不定愁訴はたくさんありますw
そして、精神的な疾患を持ち合わせているようです。
それが、病院で証明されたものではないだけで、よく言う「社会不適合者」って奴でしょうね笑

ま、実際ADHDは診断されるでしょう。
行かないだけですが。行けばいいのでしょうね。
すると、長女が言う「手当てもらえる」ことになるのでしょうね。
行ってみようかなwww


こう書くと、異論あるでしょうねw
本物だ、偽物だとか、そのせいにするのか!とかさ。

どうぞ、好きにわさわさしてください。コメントくださっても大丈夫。

今の生活が落ち着くまで、1年に何回か発作的なことあったしな。
基本、めっちゃんこネガティブで。


しかしね、基本的に日常は暮らせる。
ただ、通常の思考の世界にいないからお付き合いが難しいのだ。

やっと、自分を理解できたかも(笑)


お祭りの山車が来た。
雨止んでよかったね。


で、病気は誰かの気を引く行為で、誰かをコントロールする道具だと言う理解をしている。そしてそれは仮病でよくて、そうするには「自分の言葉で言いたい相手にちゃんと話す」ことが出来れば必要ないと言うことも知っているので、実際の病気は持ち合わせなくても、家という「病院」に入院していられるのだ。

伝わってるかなー(笑)


病気だからといって、人にあらずな生活ではなく、それなりに暮らせてると言うことは、それに甘んじて「生きれている」とう事実なだけ。

それは仮病でもいいのだ。
本気で病まなくても大丈夫。
(でも、実際自分が病気かも?と思ったら、思い当たることいっぱいある)

こう書いたら、またもや異論(反応)を生むだろうなー(笑)
でも、反応は悪いことではない。
ちゃんと反応しよう。
そこから逃げるからややこしいことになったのだと今ならわかるもの。


で、何が言いたいのか(笑)




わたしは、病気なのだということ。




いや、と言うフリをして生きていると言うことだ。




実際、随分と過去、病気のデパートで、保険契約できない投薬があったのも事実。
でも、それらを必要としていたのはわたし自身であったことは、随分前に腑に落とした。
だから、ふっきれてからのわたしは事業を起こし、踏ん張った。

駄菓子菓子。
目的がどんどん変化した、その時、また自分を見失ったのだ。


今度は「本当の病気」をあらわにせず、心の病気として表出させて、夫をコントロールしてきたのだ。


ふー

確か、タイトルは「学びを終えること」でしたね。

そう、わたしはずっと「自分」と学んできた。
外に内に。

誰も教えてはくれないってことをずっと確認し続けてきたのだ。


この1週間、今の自分に戻ろうとする自分と対峙してきた。
くだらんと思われるだろうが、わたしには必要なことだ。

おかげさまで、いつまでも学んでいる内は何にも見つからないんだってことを見出せたのだから。

すべて、自分は知っていると言うこと。

そして、その中から「わたしが本当に欲しいもの」を見出すこと。

内側に入る道が見えた気がする。

裏側



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