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風が涼しくなってきた

 一軒家に住んでいる.2階へ上がる階段には大きな窓がある.通りに抜けた、見晴らしと言うには物足りないけれど、私の好きな窓.
 階段を登って、いちばん上の段に腰掛けると、眩しすぎることもなくちょっとしたベンチになる.祖母と私しかいない家だから、外で話す人の声が静かに風と吹き込む.

 ここで本を読むのが好きだ.夕方、網戸にしたその場所で日が落ちて来るのを感じながら本を読むと、なんだか贅沢な気分になれる.この前まで40度を超え、暑さに騒いでいた日々を忘れてしまうような穏やかな夕暮れ.涼しさを感じては幸せになれる、コスパの良い時季.どんな季節にも良さを見つけて楽しめるけれど、涼しいって嬉しい.

 そんな今日は夜勤明けの次の日だからお休み.祖母と図書館に行って借りてきた本たちを読んだりもした.祖母も読書家だから、頁をめくる音をBGMにしながら、2人ゆるやかに読む.彼女もエッセイを好む.似ているのか、そこにあったから影響されてきているのか.かつて世間を席巻した人々を考察し、私に語り続けていることが、私に文字を渇望させるのは確かだろう.畳に敷いた布団に転がったり座ったり、移動したり、目配せしてお茶にしたり.いつの間にかまた本を読み始めたり、散歩に出かけたり、猫みたいに気ままに過ごす.そんな余裕があるのは、明日も休みだからというのがとっても大きい.後ろに予定があると、私はどうも焦ってしまう.

 「ひとりの時間がないと息ができなくなる」なんてチープに聞こえるのだろうか.
 交友関係が狭いわけではないつもりだけれど、年々ひとりの時間が愛おしい.心がお喋りになってきた.そしてかつてのように無邪気に人にぶつけられなくなった.長く愛されたいと臆病になっている.怖い.大好きだからこそ、これが本物ではないと突き付けられるには今は心が弱すぎる.だから活字や自分の書く言葉に世界を探している.
 涼しさは冬の訪れを教える.冬が春を呼び、夏が来たらまた涼しくなる.わかっているつもりでも、季節は楽しみと別れと共にある.きっとこれからも
 窓を開けて本を読もうと思える日が、またありますように.その瞬間を美しいと思える私を大切にできますように.そう願ってしまうくらいに涼しい夕方だった.

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