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人を疑うとみえるもの

みんながそれぞれの幸せの中で穏やかに暮らす、こんな世界になってほしいというのが私の願いです。

みんなが、ってことは、もれなく自分も幸せになることが前提。そっか、そーいえば私の幸せってなんだ?
自分の幸せを知るためには、自分を理解しないといけない。自分を理解するってことは、他人を疑うってこと。あれ?飛躍しすぎ?性格わるすぎ?

わたしは、孤独だと感じ始めてから人を疑うようになりました。疑うというとネガティブな言葉に聞こえますが、人の言葉を鵜呑みにしない、信じない、ということです。ここで私なりの考えがあって、信じると信用する、では大きな違いがあると思ってます。

信じるとは、疑わず信じる。崇拝する。
信用するとは、自分が信じると決める。
(uzume調べ)
だから、人は信じないけど、信用する人はいます。
信じる前に自分なりに検証してから信用するに至るのです。
たとえば、あそこのお店は美味しい。と言われたら、まず自分が食べてみてその情報を信用する、という感じ。
この検証は、ニュースでも、家族との会話でも、仕事中も。
なんだか面倒がくさそうとお思いでしょうが、ほんとに面倒がくさいです。
でもこれを続けていくと、自分の感覚がハッキリしてきて、人の本質だったり、物事の本質だったり、見たくないところもちゃんと見えてくるのです。そうすると、自分に自信がもてる。あ、自信っ漢字は『自分を信用する』って書くのね!『自分を信じる』とも一緒か。つまり、どっちでも一緒じゃん(笑)

とにかく私のこの面倒な性格のおかげで、『わたしはこう思う。こう感じた。』が増えてきて、自分軸というものが太くなってきた気がします。だからこそ、自分の幸せに気付くのです。

てゆーか、ここまで深く考えなくても、自分の幸せくらいわかるでしょ!って心の声が言ってます(笑)


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