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染さん、Jリーグ300試合出場(ほぼ確定)おめでとー!!

2020年シーズン終了時点で…

岐阜時代・・・165試合18得点(J2)
岡山時代・・・27試合1得点(J2)
大分時代・・・0試合0得点(J3)
沼津時代・・・106試合15得点(J3)
合計:298試合34得点(沼津時代にJFLで6試合0得点の出場記録アリ)

そして2021年シーズンの実質開幕戦に出場し、299試合出場達成。

怪我等無い限り次節八戸戦には出場するでしょうから、
これにて染矢一樹選手、Jリーグ300試合出場達成です!!おめでとー!!

(3/28追記:八戸戦での300試合出場達成確定しました!おめでとー!!)

っつーことで染さんこと染矢選手への思いを書いて行くよ!

岐阜時代

僕と染さんの出会い(出会いっていうか一方的に知っただけだけどw)は意外と古くて2013年まで遡る。

当時は清水エスパルスをメインで応援しており、他に、実はアイスタよりも家から電車で行きやすい湘南ベルマーレ、昔は藤枝にあったらしいアビスパ福岡、そして2011年最下位・2012年ブービーということで判官びいきでFC岐阜を応援していた。

めちゃくちゃ余談だけど「判官」の読みって「ほうがん」でも「はんかん」でもいいんだね。

応援していたといっても当時は金も車も無い貧乏学生。現地観戦はもちろんスカパー観戦もできなかった(当時のJリーグ中継はスカパーで行われていた)ので、専らYoutubeで試合のハイライトを見るだけだった。

そんな2013年の岐阜で活躍したのが染矢一樹である。

もともと、僕は高速でドリブルしてカットインしてズドーン系の選手が好きなので、低迷するチームで気を吐く選手という判官びいき的要素も含めて、染矢は注目の選手となった。

結果、岐阜は結局2013年シーズンもブービーで終え、染矢は岡山に個人”半”昇格することになり、僕も「まあそうだよな。染矢いつまでも岐阜にいる選手じゃねぇや。」と思った。

その後、J3創設によりJ3に注目したり、JFLに昇格したアスルクラロ沼津という地元中の地元のクラブの存在を知ったり、清水エスパルスが大変なことになったりとで、湘南・福岡・岐阜への興味は薄れていく。

岡山時代→大分時代

ということで興味が清水エスパルスとアスルクラロ沼津に集中することになったため、岡山・大分時代はほとんど知らん。

岡山時代に風の便りで聞いた限りは、あまり出場機会を得られていないとか、怪我をしたとかで、J3に降格した大分に移籍したということは「そういうことなんだろうな」と思った。

その大分では怪我さらには体調不良で試合はおろか練習もできない状態になっており、契約解除となったというのはドメサカさんかどこかのニュースで見て、岐阜時代の全盛期の染矢を知るものとしてはただただ悲しかった。

沼津時代

2016年、シーズン中にそんな染矢が沼津にやって来た。

その時の気持ちは、あの染矢が沼津に!という喜びが3割3分3厘、

あの染矢が3年でJFLまで落ちたか…という哀しみ(正直J3大分の時点で思っていた)が3割3分3厘、

「”試合に出られないJリーグ経験者”をこれ以上獲ってどうする!?”Jリーグ経験者”を神格化しすぎじゃないか!?」という沼津フロントへの怒りが3割3分3厘と言ったところ。実際JFL時代の染矢は6試合0得点と「試合で貢献」できたとは言い難い。

しかしJ参入後は

2017年・・・主にスーパーサブ(自らのJ通算250試合出場試合で一発退場とかあったけど^^;)

2018年・・・スーパーサブから主力へ

2019年・・・背番号10に。全試合先発出場達成・チーム内得点王

2020年・・・監督交代で一時期は出番を失ったが、結局は主力に返り咲き

と、見事な復活を遂げ、完全に沼津に欠かせない選手のひとりになった。

まだまだバリバリやっていける染さん、350試合出場達成も是非沼津で!

300試合出場、本当におめでとうございます!!

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