父が逝きました

施設に面会予約を入れていた前日。食べたいと言っていたお寿司のテイクアウトの予約もすませて、所用を足していたときに連絡がありました。普通に元気に過ごしていたのに、ちょっと目を離した15分くらいの間に命の炎がそっと消えるように心臓が停まったようです。AEDも無反応だったそうです。私が駆け付けるまでの1時間、施設に併設された病院でずっと生命維持装置をつけて死亡宣告を待ってくださいました。

先生も看護師さんもスタッフさんもあまりに急だったので慣れているとはいえショックを受けていらっしゃるように見えました。皆さんと一緒に生命維持装置が反応しなくなるのを待ち、死亡宣告となりました。

お昼寝をしているような穏やかな顔をしていました。苦しまずに自分が死んだことにも気づかないくらいの大往生だったのだと思います。それは娘としてせめてもの慰めです。

肉親が亡くなるのは、祖母の死後初めてのこと。まして自分が喪主を務めるのも。。。。どうしていいかわからず右往左往していると、施設の方から葬儀社のパンフレットを渡されました。施設には霊安室がないので、今日中に施設は出なくてはいけません。こんなことで迷っていても仕方がないと思い切って紹介されたパンフレットの会社に電話をしました。あれこれ見始めると優柔不断な私は迷うのがわかっていたので、決めてしまいました。

死後硬直が始まる前にエンゼルケアをしてもらっている間、葬儀会場を施設の近くに決めました。弟の到着を待って、お世話になった施設のスタッフの方に見守られながら、施設から葬儀会場に遺体を運びました。昔はいったん自宅に帰さないと可哀想という考えもあったようですが、今は直接葬儀会場に運ぶのが普通なんだそうです。

死亡宣告から4時間後にはもう会場に運び込まれていました。弟と一緒に私も会場へ移動し、そこで今後の流れを丁寧に説明していただき、お線香をあげて会場をあとにしました。今は火葬場もいっぱいでその場では葬儀日程は決められませんでした。お亡くなりになる方がとても多いのだそうです。コロナの影響なのでしょうか?深夜24時に火葬場予約のサイトが開くので、予約が取れたら一報入れますねと言われました。葬儀コーディネータの方とline交換をして友達になりました。24時間いつでも疑問や不安なことは連絡してきていいということで、便利な時代になったなあと思います。

自宅に帰る途中、父の家に寄り、旅立ちの時に着せてあげるスーツを選びました。父はあの世代の人の平均身長よりずいぶん大きく、恰幅も良かったのでスーツがどれもびっくりするくらい大きく、瘦せこけた身体には不釣り合いだなあと思ったら、初めて涙が出てきてしまいました。そう、不思議と病院では全く涙は出なかったんです。

でも、泣いている暇はありません。やらなくてはいけないことが山のようにあります。考えて決めなくてはいけないことも。迷っている時間はありません。明日から頑張らなくてはと思いながら、思い出に浸りその晩はなかなか眠りにつけませんでした。夜中にふと目覚めてlineを見ると、1週間後に予約が取れましたと入っていました。少し先になるけれど、そのぶん、十分なお支度の準備ができると自分に言い聞かせました。明日はまたコーディネーターの方と本格的な打ち合わせです。

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