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■【より道‐37】隠された歴史_大陸浪人と大東亜共栄圏

たしかに、自分が学んできた敗戦教育のなかで、ときおり「アジア人を開放する戦争だった」とか「大アジア主義」「大東亜共栄圏」という言葉を聞いたことがある。しかし、聞き流されるというか「日本が悪い事をしたから原爆を落とされた。戦争は悲惨だ」ということを強烈にすり込まれてきたので真に受けて学んだことがない。

友人の山根さんは、九州地方を中心に活動している方なので、福岡で会うたびに隠された歴史「玄洋社」や文官で唯一「平和の罪」で裁かれた広田弘毅元首相の話しをしてくれた。それでも正直わからない。調べてみると「右翼団体」という言葉が検索されるほどなので、装甲車やDQNの恐ろしいイメージが先行して膨らんでしまう。

しかし、今回は、ファミリーヒストリーを通じて近代史を調べるとようやく理解が深まってきた。明治維新から始まり、日本政府や関東軍が武力拡大の大義名分に利用した「大東亜共栄圏」。大陸浪人と呼ばれていた政治運動家たちが、本来掲げていた理想とはなんだったのか自分なりに理解したことをまとめてみる。


【アジア人のアジア領土】

板垣退助の影響で自由民権運動に参加した頭山満とうやまみつるは、「大アジア主義」を掲げて日本や朝鮮、満州国で政治運動をした大陸浪人の黒幕と呼ばれる人です。右翼団体の先駆けとも呼ばれているので、なんとなく恐ろしい匂いがプンプンしますが、その歴史をしらべてみると、どうも、明治維新からはじまっているようです。

明治新政府は、欧米列強に肩を並べるために近代国家を目指すべく、様々な政策をうちだしますが冷遇をうける人たちがいました。それは、武士です。

例えば全国の藩が所有していた土地と人民を天皇に返還させた「版籍奉還はんせきほうかん」や「廃藩置県はいはんちけん」。米ではなく土地に税金をかける「地租改正ちそかいせい」さらには「廃刀令はいとうれい」により、武士たちの不満が溜まっていきます。そりゃあそうです。倒幕を果たすために命をかけて戊辰戦争に臨んだのに、身分を奪われ、給料も払ってくれない、最後には武士の魂である刀まで奪われてしまったのですから。

そこで、明治維新の立役者、武士たちのリーダーである西郷隆盛が朝鮮への侵略政策「征韓論せいかんろん」を唱え、武士たちの不満を国外にむけるように画策しました。結果的には、武士たちの不満を抑えきれず明治新政府と対立する「西南戦争」へと発展してしまいます。武士と近代国家の戦いは西郷隆盛の死と、その後の大久保利通の暗殺で幕を閉じたように表面的にはみえています。

しかし不平武士と呼ばれた人たちは、武士道の志をもった日本を取り戻すべく諦めていませんでした。すると国を開いた日本に世界の情報が入ってきます。そこには、欧米列強に侵略させられている大清帝国やインドをはじめとしたアジアの人々。日本も不平等条約を結ばれていますから、ある意味アメリカやイギリスに侵略されていたと言っても過言ではありません。そこで、「アジア諸国が平等に助け合い団結することで、欧米勢力をアジアから追放しよう」という理想を掲げるようになるわけです。

しかし、現実的には欧米列強に肩を並べ国際社会の地位を向上させる方が先決です。正しいかどうかわかりませんが、簡単にいうと、お金や軍備・会社や工場などのインフラなどがまだまだ整っていなかったというところでしょうか。道義的に「アジアの人々と協力しよう」と考える理想主義と「軍事拡大をして欧米列強のように優位にたつべきだ」という現実主義の議論が生まれるわけです。大陸浪人たちは前者の「大アジア主義」を唱えた運動家ということです。

頭山満は、福岡藩を中心に自由民権運動を目的にした「玄洋社」という活動団体をつくり、朝鮮のクーデター甲申政変こうしんせいへんを企てた金玉均きむおっきゅんに金銭の支援などをしました。また、大清帝国で革命を起こした孫文そんぶんとは旧知の仲。辛亥革命しんがいかくめいが成功したときには、犬養毅とともに苦労を労ったそうです。

更には、アジア諸国の独立支援を中国や朝鮮にとどまらず、インド、フィリピン、ベトナム、エチオピアなどでの活動も広めていき、海外の活動組織名を「黒龍会こくりゅうかい」と名乗りました。白人を追い出す日露戦争には賛成。朝鮮の併合は反対。満州事変も不賛成。日中戦争に対しては、心から憤っていたそうです。

この「大アジア主義」がやがて「大東亜共栄圏」という言葉に変わり、日本政府や関東軍が都合よく満州事変や日中戦争の大義名分に変え、「五族協和」や「王道楽土」「八紘一宇」というスローガンを打ち出したことになります。

アジア主義の理想は素晴らしいです。日本人だからこそ生まれた思想だと思いました。「弱きものを助ける」武士道の精神です。それだけ、欧米列強の白人たちはアジア人から命や領土、お金や文化など様々なものを奪い取っていったのでしょう。現代の価値観ではなかなか理解しにくく想像することしかできませんが、アジア人で共に手をとり欧米列強に立ち向かおうと理想を描くのは武士のDNAがそのようにさせたのかもしれません。

でも、そうなると「日清戦争」自体が誤りのような気もします。あの時は、ロシアの南下政策に対抗するための自衛戦争だったわけですから。「大アジア主義」の理想があるのであれば、イギリス、フランス、アメリカ、ドイツ、ロシアを大清帝国と一緒に追い出す必要があったと思います。

しかし、欧米列強の武力や知識、資源に追い付かなければならないという現実もあり、やがて昭和恐慌という貧しさにも直面しました。石原莞爾や板垣征四郎が「アジア主義」の理想を追い求めるために、現実的に「武力を拡大する」という満州事変を起こしたのであれば、そこには大きな矛盾が生まれます。そして中国を日本の下にみている近衛首相が「大東亜共栄圏」を唱えるのは筋が全く通っていません。

王道楽土の王道(徳)は、人を思いやり、人道的な義を通し、あらゆることに感謝する。本質を見極めるために知識を学び、忠義を通す。人を信頼し親や兄弟を尊敬する。

そもそも、明治維新で武士道を衰退させてまでも日本は近代化の道を進んだのに、大和精神を他民族に唱えるのには無理があるなと思いました。それが、終戦の30年後に生まれ敗戦教育をうけながらも、戦争で母を亡くした父とのメールのをきっかけに、キレイごとしか知らない平和な時代に生きている45歳が学んだ、近代史の感想になります。


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