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【363日目】:死ぬことの意味

ご隠居からのメール:【死ぬことの意味】

生きることに意味があるとすれば、死ぬことにも意味があるはずだ。心理学者フランクルは、発想を180度転回させて、自分の人生の意味について考えるのではなく、他人が人生の意味を考えるのを助けることに自分の人生の意味があると考えた。そのリクツを応用させてもらえば、他人が死の意味を考えるのを助けることに自分が死ぬ意味がある。

たとえば、「仏さまは人をいちばんよい時に死なせてくださる」と従弟のトオルさんが言ったとき、「その通りだ」と私は応じた。及ばずながら、一応、従弟の思想、認識、あるいは、悟りへの共鳴を示しているつもりだった。

従弟は、三年前、コロナ禍のさ中、猛暑のさかりにマンションの一室で孤独死をなしとげた。死因は不詳だが、従弟にとっては「いちばんよい時」だったと思う。九歳年長の私はまだ生きながらえているが、それはまだ時期が来ていないだけであって、そのうちいちばんよい時に仏さまが死なせてくださるだろうと信じている。

修証義に曰く、生死の中に仏あれば生死なし。

では、死ぬことの意味は何か。諸行無常、生老病死、新陳代謝、世代交代、それとも、無為自然?



返信:【Re_死ぬことの意味】

2022年5月29日。20時56分訃報が届いた。

じぶんの兄貴分の北田さんが心筋梗塞で亡くなったらしい。昨晩、LINEが届いてから涙が止まらない。会社が創業されてから今日まで多大なる貢献をした英雄が亡くなってしまったようだ。享年48歳だ。

徹さんが亡くなった時、じぶんと大井町で一緒に時間を過ごしていたのが北田さんだった。先日、じぶんでは場違いのような、ゴルフコンペに誘ってもらったが、それも、全部、北田さんのおかげだ。

過去に北田さんに本気で怒られたことがある。それだけ、真剣にじぶんと向き合ってくれた方だ。いまでも、隣で、「あとは任せた、べーちゃん頑張れよ」って言ってくれてるような気がする。そんな先輩がこの世から姿を消してしまった。信じられない。


じぶんが知っている、北田さんのことを書こうと思います。

じぶんが入社した頃は、まだ、ゼクシィが天下を取る間もないころだったので、ゼクシィに対抗するウェディング媒体の会社に出向して、集客の根っこを抑えようとしていたのが、北田さんでした。

入社したばかりのじぶんは、周りの先輩がとにかく恐ろしいという環境でしたので、一か月に一回しか出社しない北田さんを羨ましく、かっこいいと思っていました。

じぶんが入社して四か月後、初めての直営店ができました。初代、支配人は、北田さんです。どんな功績があったかは、よく知りませんが、とにかく最初にやって、文化を築いた人です。

当時、離職率が半端なかった会社では、勤続2年が経つと海外旅行に連れて行ってもらうという、ベンチャー時代らしい、ご褒美がありました。そのときのお土産話を聞いた時、とにかくカッコイイ北田さんは、自らをIT社長と称して、海外でモテまくったという武勇伝、伝説を耳にしていました。

いつからか、そんな、イケメンの北田さんとの接点をもつようになりまして、一緒に遊ぶようになりました。一緒にコンパもしましたし、毎晩のように飲み明かし、昼は一緒にランチに行き、遊んでばかりのような気もしますが、一緒に過ごした半分以上の時間は、会社の将来のことしか、語っていませんでした。

北田さんは、その後、立ち上げメンバーとして、直営店の新規出店に携わり、本社では商品開発を携わる部長や、当時、険悪だった料飲部門との懸け橋になろうと、その身を捧げ活躍されていました。

たしか、一度、会社をクビになっていると思います。何だか知らないですけど、料飲の談合に巻き込まれていました。「いつも俺は、損なことばかりしている」と、あの当時は口癖のように嘆いていました。

気が付くと、何だか知りませんが、単身ジャカルタで暮らすことになり、なんだかよくわからないうちに、有名ホテルと提携をしてくるという功績を残して日本にもどってきました。ほんとすごい人です。その後、多くのホテルを立ち上げる仕事をされていました。

会社にとてつもない功績を残した先輩です。じぶんの人生をたくさん支えてくれた兄貴分です。できたら、サプライズであってほしいけど、これが、このタイミングが、北田さんにとって、一番いい死に時だったのでしょうか。

人の良いところをたくさん褒めてくれる北田さんがいなくなってしまい涙が止まりません。心よりご冥福をお祈りします。


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