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【307日目】無意識の行動

ご隠居からのメール:【無意識の行動】

病室のベッド用には二枚重ねの薄いフトンが使われている。患者にとっては暑からず、寒からずと感じるような仕様だが、心持ち、やや寒く感じるように温度調節がされているようだ。

看護師が二枚重ねのフトンがはがれているのに気がついて、「どうしたの?」と聞いてきた。私は答えられない。睡眠中に無意識のうちにあばれて、二枚重ねをはがしてしまったようだ。理性はまったく関係ない。理性のない無意識がよくそんなに器用な行動ができるものだと感心する。

夢も無意識の産物だ。夢の内容は荒唐無稽のものが多いが、なかには、今回の入院体験で見た、「高熱が出たとき、肺の炎症が刻一刻、緩急・増減を繰り返すリアルな夢」を見ることもある。

また、故郷の限界集落無人駅に降り立って、短歌を詠む夢も見た。入院中、俳句や川柳はつくれないのに、短歌らしきものをつくったのは如何なる無意識の作用によるものだろうか。俳句や川柳は気持ちに余裕のある時でないとつくれない。せっぱつまった時の気持ちを表現するのに適した形式は短歌かもしれない。

だれかひとりは昔なじみがいるはずの無人の駅にひとり降り立つ

幾山河限界集落無人駅絶対孤独コロナ老人

死の淵の病床六尺ホトトギスコロナ老人生きている何故

刻一刻緩急増減繰り返し炎症の影あらわれて消ゆ

死の淵のコロナ老人バカの壁叩いて問うや人生の意味


返信:【Re_無意識の行動】

夢は、潜在的な精神状態を脳に映像として残すものだから、とても不思議だよね。眠っているときに、無意識にクリエイティビティが働いている。なかには、突拍子もない夢もよくみるが、発想はとても自由だよね。

父さんは、満州国や中華民国の大同などの大陸で幼少期を過ごし、6歳で先祖から伝わる高瀬の地で「くらし」はじめた。大人になってからは、千葉の浦安に栖を変えて家庭を築いたけど、父さんの心には、いつまでも故郷が残っている。


中世もそうだけど、近代史も闇に葬られている歴史だと思う。アヘン戦争が起きて、ペリーが浦賀に来航すると、隣国、清国のように欧米列強国に侵略されることを恐れて攘夷を叫び、明治維新が起きた。

欧米列強国に侵略されないためには、じぶんたちも近代国家になり抑止する必要があると、富国強兵が叫ばれた。その間にも欧米列強国は清国を侵略し続ける。そんなときに、日本も清国との戦争に発展。日清戦争が勃発して勝利をおさめ領地を得たが、フランス、ドイツ、ロシアの三国が干渉してきたことで、領地を返還した。

すると、ロシアは、日本から清国を守るという都合のよい条約を結び、清国に軍隊を駐屯させて鉄道を引きはじめた。この時に、「臥薪嘗胆がしんしょうたん」という言葉がうまれ、いつかロシアに仕返しするという精神が日本人の心に宿ったのだ。

ロシアの清国侵略が進むと、今度は朝鮮が狙われた。やがて日本も侵略されてしまうと考えた、先人たちはロシアと何度か交渉したのちに、日露戦争が勃発。ものすごい戦いだったが、日本が勝利して清国からロシアを追い出すことに成功した。

そうこうしていると辛亥革命しんがいかくめいが起きて、清王朝は終焉。中華民国が誕生した。すると、中華民国内では、いくつかの馬賊たちによる天下統一合戦がはじまった。

この辺りの「共産党軍」と「国民政府軍」との戦について、日本人は知らないと思う。それが現代の中国と台湾の問題だということも。

やはり、満州事変、日中戦争、太平洋戦争、そして朝鮮戦争についてもっと、深堀してみる必要があるな。特に日中戦争はほとんど知られていない。また、太平洋戦争末期に起きた宮城事件なども調べたいな。

とはいえ、まずは、1945年8月9日。ソ連(ロシア)が不可侵条約を破り攻め込んできたときのこと。自分が幼少の頃は「中国残留孤児」というニュースを聞いていたが、現代ではまったく聞かなくなってきた。

当時150万人の日本人がどのように逃げのびたのか。ソ連(ロシア)の侵攻がどんなものだったのか。シベリア抑留と聞くけど、どんなものだったのか。

そのころ、與一さんと父さんも大陸にいたけど、運よく終戦時には高瀬の地にいたのは何故なんだろうな。


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