見出し画像

【359日目】:生きることの意味

ご隠居からのメール:【生きることの意味】

入院中はヒマがたっぷりあり、養老孟司『バカの壁』を二度にわたって読む機会に恵まれた。これもコロナのおかげである。

世の中には、「話せばわかる」と思っている人がいる人が多いが、それはウソか、幻想であると、養老先生はいう。人間同士がお互いに理解したいと思っても、口先だけのことばで理解しあうのは不可能に近く、たいていの人間は話してもわからない。そのうち、テロリストがあらわれ、「問答無用」と銃弾をぶっぱなす。

バカは死ななきゃわからない。死んでもわかるとは思えないが、養老先生はフランクルの『夜と霧』を紹介し、「人生の意味」について考えることが、「バカの壁」を乗り越える一つの答ではないかという。

そこで、遅まきながら、『夜と霧』も読んでみたのだが、なにしろバカの壁の前で立ち尽くしているコロナ老人である。いままで文意を誤解していたことにやっと気がついた。

原作者の心理学者フランクルは、「人生の意味」について考えることをすすめているわけではない。生きる意味についての問いを百八十方向転換することをすすめているのだ。つまり、自分の人生の意味を考えることよりも、他人が人生の意味を考えるのを助けることに自分の人生の意味を見出している。

利己よりも他己、自力よりも他力、を優先する。これは日本人にとってはおなじみのナムアミダブツーー仏教の浄土宗や浄土真宗の思想に近いと思う。

ただし、心理学者や解剖学者とちがって、仏教徒は意味なんか考えない。意味もなく、ただ、ナムアミダブツととなえるだけだ。。


返信:【Re_生きることの意味】

父さんとのメールがはじまり、「じぶんは、なぜ生まれ、何のために生まれたのか」ということを、よくよく考えるようになった。

「じぶんがなぜ生まれたのか」ということは、運が良いことに、平家物語に登場する「長谷部信連」の存在や「家系図」、「尼子の落人」という家訓のおかげで、ご先祖さまたちの活躍を史実を辿りながらも断片的に想像することが出来るようになった。

しかし、「じぶんが、何のために生まれたのか」ということの具体的な答えは未だみつからない。ただ、わかったことが一つだけある。それは、人は必ず死ぬということだ。ということは、何十、何百、何千ものご先祖様の命が紡がれて、いまのじぶんが在るということだ。

そこに、意味があるのであれば、ご先祖さまからしてみたら、今日という一日をじぶんが、過ごしていること自体に意味があるのではないか。そうなのであるのならば、じぶんは、顔もわからない、未来の子たちのために生きているというのが、「生きる意味」ということになる。

日本の歴史をみると、嫡子が続かなかったことも多くあるし、養子をとって、氏を後世に残したケースの方が当たり前で、一世万系のDNAが続いているのは、天皇家くらい。だから、日本という国体を守るために第二次世界大戦の英霊たちは、命を賭して戦った。あの当時は、戦争そのものが、「生きる意味」だったのだろう。

そもそも、今日という一日を過ごすことは、ご先祖様たちにとっての「生きる意味」であって、じぶんは、まだ見ぬ未来の子たちには、心豊かな人生を送ってもらうためにできる限りのことをして、いまを生きる。フランクルの利他の考えとは、こういうことだろうね。


<<<次回のメール【360日目】:老いることの意味

前回のメール【358日目】:健康経過観察(三回目)>>>


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?