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【342日目】:元の健康な身体に戻る→戻らない

ご隠居からのメール:【元の健康な身体に戻る→戻らない】

入院するとき、もし無事退院することができたら、元の健康な身体に戻るだろうと私は単純素朴に思っていた。どっこい、そうはいかない。 

なんとか、無事退院して、自宅療養にはなったが、入院したことによって、老化がいっそう急激に進行したような気がする。ステロイドなどの服用は続けているし、定期的に健康経過観察を受けている。コロナの後遺症やステロドなど薬物の副作用後遺症も心配される。

今現在という時間が一瞬もとまらないように、私の身体も刻々と変化する。哲学者ハイデガー曰く、現存在は時間内存在である。禅僧道元曰く、時は飛去するとのみ解会すべからず。たとえ、一時的に退院を許されても、元の健康な身体に戻るはずがないのだ。

コロナ陽性が確認されて、順天堂大学付属浦安病院に入院中は、退院したら元の健康な身体に戻るものだと楽観していたが、現実に退院して、自宅療養に切り替えた時点で、もう二度と元の健康な身体には戻らないと悟った。コロナの後遺症は残るし、身体は老化し続ける。

また、その後、病院は一層ひっ迫し、看護スタッフが疲弊したらしい。知人が心臓疾患で緊急入院し、手術は成功したが、退院する際、コロナ陽性が確認された。六人部屋だから、同室の患者か、看護師からの院内感染だろう。そのままコロナの治療に移行してくれるかと思ったら、コロナは今や自宅療養が原則になっているため、退院を余儀なくされた。すると、自宅療養中に奥さんと娘さんにも感染したという。


返信:【Re_元の健康な身体に戻る→戻らない】

コロナを患ったことによって、老化現象が進んだのか。まだそのようなニュースをみたことはなく、科学的証明はされていないだろうけど、当の本人がそのように証言しているのであれば、そうなんだろう。

しかし、父さんは、83歳と後期高齢者だ。コロナになる前も、なった後も後期高齢者。いろいろと、衰えていくものがある。老いとのたたかいが、後期高齢者のくらしに当たり前にあるということだね。

我々の世代は、もしかしたら、そのたたかいを「楽しむ」方法やビジネスが生まれているかもしれないが、仏教でも学んだ方が、心救われるかもしれないね。


中世の時代の戦は、「親子ケンカ、兄弟ケンカ」だった。そして、その理由は、正室と側室の妬み、腹違いの兄弟、そして家督相続の争いのように思える。

護良もりよし親王と義良のりよし親王(のちの後村上天皇)、足利義詮よしあきらと足利直冬ただふゆ。そして、有力大名のお家騒動、山名氏、畠山氏、斯波氏、六角氏、京極氏、細川氏、そして尼子氏と。

問題を起こさないためには、腹違いの子と母親の愛情、そして相続について、真剣に対応しないと国を二分するほどの争いに発展してしまう。

ついに「太平記」を観終えたよ。そして、新たなことを発見してしまった。それは、足利直冬ただふゆについて。足利直冬ただふゆは、1349年(正平四年)に長門探題に任命されているのだ。

長門探題は、備後、備中、安芸、周防、出雲、因幡などの西国を管領して、対モンゴル対策のため、足利直義ただよしが設置したといわれているけど、実際は、高師直もろなお対策だった。この、長門探題への配置がやがて、日本を分断する「観音の擾乱」にまで発展した。

そして、ここで長谷部家の「家系図」が登場する。長谷部信豊のぶとよの孫に長谷部雅信まさのぶこと、長谷部長門守ながとのかみがいる。すなわち、この頃は、足利直冬ただふゆ(南朝)に寝返っていたのではないだろうか。

整理すると、長谷部信豊のぶとよは、「船上山の戦」で後醍醐天皇をサポートしているし、「建武の新政」で名和氏や金持氏の動向からみても南朝側とみていい。しかし、「建武の乱」では、足利尊氏たかうじに賛同して「湊川の戦」に参戦。その褒賞で、上下の領地をもらっている。なので、北朝派だ。

そして今回の、「観音の擾乱」では、足利直冬ただふゆに従属しているので、再び南朝側に属したことになる。足利直冬ただふゆは、親子対決をやめて、兵を引いていった。74歳で亡くなっているが、没落地は石見ともいわれている。また、足利直冬ただふゆは多くのひとに「冬」と「直」の諱を与えている。そのなかに、塩冶氏と富田氏(月山富田城城主で塩谷氏の従弟)がいる。

このあたりから、長谷部氏と佐々木氏(塩冶氏、京極氏)の関係が築かれ、やがて、尼子の落人とよばれるようになるわけだ。結構、納得のいくストーリーになってきたな。


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