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信頼と憤り。VALUの未来を紡ぐ脚本家「長谷川徹」

脚本家として活躍する長谷川徹さんがVALUに登録したのは昨年7月のこと。それからすぐに原案・脚本・製作総指揮をしてショートムービー『失恋科』を完成させた。クライアントもいない。期限があるわけでもない。思いつきだった企画を完成まで導いたのは彼の強い想いだろう。意地、といってもいいかもしれない。クリエイターとして何ができるか? 問い続ける彼の起源とこれからを探る。

“好き”ではなく“楽”を選んだ先。叶わなかった夢。

―長谷川さんは法政大学工学部機械工学科ご出身ですが、小さな頃から車やバイクがお好きだったんですか?
長谷川 あまり興味ありません(笑)。物理や数学の成績がよかったという理由だけで理系の大学に進学しました。小さな頃から好きだったものは、やはりテレビですね。小学生の頃は『ねるとん紅鯨団』が流行っていて、でも、私はそのあとに放送されていた『夢で逢えたら』が大好きでした。友達は『ねるとん』だけ見て寝てしまうので小学校で話題にならないんですが、自分だけが面白いものを知っているという変な優越感に浸っている子どもでした(笑)

その優越感わかる気がします(笑)。大学卒業後すぐにテレビの世界へ?
長谷川 製造業の会社に一度就職してます。でも、何も考えずに就職した会社だから、やりがいもないし面白くもない。そこで気づいたんです。テレビが好きだからテレビにまつわる仕事につくべきだったと。普通は就職活動前に気づくことですが(笑)

会社を辞められた後は?
長谷川 
放送作家という仕事を知ってテレビ局が運営するスクールに通いました。そして、制作会社と番組契約して放送作家の足掛かりを作りました。最初の仕事は番組を作る上で必要な情報のリサーチでしたね。リサーチは今でこそ専門職として独立してますが、当時は放送作家の若手が下積みでやる仕事でした。

―なぜ放送作家も辞めることに?
長谷川 
うーん。放送作家は一番組に複数名いて、私みたいな若手は会議で円卓の外、部屋の壁際に座らされるんです。ベテランが真ん中でずっと喋ってる。自分は外側でただ見てる。頑張って発言すると偉い人に「君、誰?」みたいなツッコミをされて笑いがおこる。言いたかったことは言えずに会議ネタで終わってしまうことが多々あったんですよ。

―もやもやが溜まりますね。爆発しませんでしたか?
長谷川 
しました。大御所放送作家の倉本美津留さんとお会いすることがあったんです。仕事くださいとか謙虚なことを言えばいいのに、なぜか私は喧嘩を売ってしまったんです。「あんたたちがのさばってるから席が開かないんだ! どいてくれ! 席を開けろ!」と。実際はもう少しマイルドな言い方ですが。

―すごい。若さゆえですね(笑)
長谷川 
無駄にとんがってました。でも、倉本さんは立派な方だからちゃんと応えてくれたんです。「お前に仕事がないのはお前が面白くないからや。俺は関係ない。仕事がないのはお前の責任じゃ」って、愛のある説教を頂きました。

―おぉ……。
長谷川 
何も言い返せません。その瞬間に放送作家を諦めました。憑き物が落ちた感じです。向いてない。俺は放送作家になりたいけど、向いてないんだって。


浮き彫りになった孤独と恩師の一言。決めた覚悟。

―放送作家を諦めて脚本家を目指すと決めたのはなぜですか?
長谷川 
これまでの経験で潰しが利く仕事。放送作家と似て非なる仕事って何かな?と考えて、テレビドラマの脚本家が思い浮かんだんです。ドラマもバラエティと同じくらい大好きでしたし、仕事にできたら最高だと思いました。ただ、放送作家でダメだった人間が果たして本当に脚本家になれるのだろうか?とビビって踏み出せずにいました。

―そこで出会ったのが脚本家の秦建日子さん
長谷川 
はい。当時、秦さんが所属する芸能事務所がマネージャーを募集していたんです。「将来はドラマや映画の企画立案をするプロデューサーになりたい方。一緒に未来の有名脚本家を育ててみませんか?」みたいな見出しで。これだ!と思いますよね(笑)。肩書きはなんでもいいので、とりあえずドラマ業界に飛び込もうと思って応募しました。

―その事務所があったのが取材場所である、ここ中目黒ですね。思い出の地ですか?
長谷川 
どうですかね。正直、人生の暗黒期だから良い思い出はないかな(笑)。じつは、私が入ってすぐに秦さんが独立してしまったんですよ。

―その時点で辞めたいと思わなかったんですか?
長谷川 
後ろ向きな理由で辞めるのは無意味なので、ここで自分ができることをすると考えを切り替えました。テレビ局に営業したり、企画をどんどん提案したり、新人に企画書の書き方から教えたり、脚本の添削もしました。ところが、そろそろ成果が出るかというときに事務所が舞台制作を手がけるようになって、私はその手伝いを強制的にやらされるようになりました。本来の仕事はそっちのけだったので後ろめたい気持ちもありつつ、雑用係として撲殺される日々がしばらく続きました。
ただ、良いこともありました。制作した舞台の一つが、著名な脚本家の坂元裕二さんが脚本した作品だったんです。脚本読んで、面白くてめちゃくちゃ震えました。それで逆に、強い焦燥感に苛まれてしまったんです。俺はこんなところで何をしてるんだろう?これがやりたかった仕事か?と。

―自分の今の姿が浮き彫りになってしまったんですね。そこから抜け出したきっかけというのは?
長谷川 
秦さんと久しぶりに飲む機会があったんです。そこでつい愚痴ってしまった。言い出したらもう止まらなかったです。肝心の秦さんがいない、舞台の手伝いがしたいんじゃない、育てようと思っても新人が育たない、これじゃ自分が脚本書いたほうが面白いんじゃないか、とか延々と。

―たびたび爆発しますね(笑)。そのとき秦さんはなんと?
長谷川 
「わかってるじゃん、長谷川。お前が書けばいいんだよ。自分で脚本家を目指せばいいだけだろ」と言われました。「なれるかわからないからマネージャーとか、ビビるなって。やればいいだけなんだよ」と。憑き物が落ちた瞬間、パート2ですね(笑)。それからすぐに事務所を辞めて、テレビ朝日の二十一世紀新人シナリオ大賞という脚本コンクールに応募します。それで運良く最終選考まで残って脚本家になることができました。


VALUで活動する意味。明確なお金という支援。

―VALUも秦さんのご紹介でしたよね?
長谷川 
そうです。秦さんに「VALUって面白いSNSがあるんだけど、お前もやれば?」と言われてその日に始めました。尊敬する人に勧められたことは「やります」と即答することにしてるので。だから、最初はVALUの仕組みを全然理解していませんでした。

―初めてVAを買ってくれた方を覚えてますか?
長谷川 
申し訳ないんですが覚えていません。本当にお金が発生すると思ってなくて、擬似シミュレーションだと思っていたので。

―本当にお金が動いてると気づいた時にどう思いましたか?
長谷川 
ヤバいと思いましたね。お金をもらった以上は何かお返ししないといけない責任が生じてしまったなと。

―それが映画製作に繋がるわけですね?
長谷川 
はい。VALUで脚本家がお金をもらうってことは、「VALUの中から生み出される映画の脚本を書く」とか、そういうことでしかないよなって。そんな時に、ぼいじゃあさんの投稿を見て参加することにしました。映画を作ろうと言ってる人が他にもいるのに、わざわざグループを二つ作る必要はないですからね。

―それからは長谷川さんが指揮を取って、自らのVALUを売って得たお金を映画の製作費やキャスト・スタッフのギャラに充てましたね。批判はなかったんですか?
長谷川 
ありました。プチ炎上しましたよ(笑)。ただ、すでにVALUを買っている方にはアクティビティで事前に説明していたので、そこからの批判は一切なかったです。「これから映画を製作するために全売りします。賛同できない方からはVALUを買い戻します」と。当然売る人もいたし、持ち続けてくれる方もいました。プチ炎上中でも10VAも買ってくれる方もいました。その時に初めて、自分のVALUを買ってくれる支援者に感謝の気持ちを抱きました。この人たちの信頼を裏切りたくない。この映画は絶対に完成させると。

―実際に完成しないプロジェクトも世の中には沢山ありますよね。
長谷川 
そんな無責任な人たちへの憤りも、映画製作のモチベーションに繋がったと思います。できない人たちを批判したいわけじゃないんですが、自分はクリエイターとしてそうなりたくないだけでした。
VALUの「叶う夢を増やそう」という志はすごくいいなと思うんです。でも、中途半端な人が増えていけばその志は実現しないかもしれません。だから、私は自分の作品だからという理由だけでなく、VALUの成功体験としてもこの映画を完成させたかったんですよね。

―長谷川さん個人のこれからの展望はありますか?
長谷川 
また資金が集まれば映画や舞台を作りたいです。あと小説を書いたり、新しい挑戦をしたいですね。様々な経験をした上でドラマの脚本を書けば、脚本家としてもさらに高みにのぼれるんじゃないかと思ってます。
……あと、婚活ですよね。

―婚活中なんですか?(笑)
長谷川 
ええ。本気のを。なので長谷川とデートしたい方のご連絡をお待ちしてます(笑)

(書き手:鎌田智春)

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