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VALUショートムービー『失恋科』発起人「ぼいじゃあ」

VALUユーザーが集まり制作されたショートムービー『失恋科』。その発起人である”ぼいじゃあ”さん。名前の由来である無人惑星探査機を意味する”ボイジャー”は、音楽制作と催眠術師を軸に活動する謎多き彼を表現するには最適な名前かもしれない。VALUからなぜ『失恋科』が生まれたのか。制作に至ったキッカケに迫る。

音楽に魅せられた彼が掴んだ夢

―ぼいじゃあさんは、肩書きを“音楽制作”と“催眠術師”とされてますが、個性的なお名前である“ぼいじゃあ”もそれと関りがあるんですか?
ぼいじゃあ 
いえ、全く(笑)。 もともと宇宙が好きで、無人惑星探査機ボイジャーから来てるんです。ひらがなの方がなんとなくぼくっぽいかなと。

―たしかに、ひらがなの柔らかさはぼいじゃあさんにぴったりです。ご出身はこちらなんですか?
ぼいじゃあ 
出身は岩手県の盛岡市です。音楽の専門学校に入るために、高校3年生になる年の時に上京してきました。

―高校3年生になる年の時に…とは?
ぼいじゃあ 
実は2年生のときに高校を中退してるんです(笑)。

―なんと!何があったんですか?
ぼいじゃあ 
自分でいうのもなんですけど、中学校を卒業するくらいまではすごい優秀だったんですよ。生徒会長もやるし通信簿も全部5、絵にかいたような優等生。
高校受験の時に「地元で1番の進学校に行ったら、音楽を作るためのパソコンを買ってやる」と言われて。「それなら!」と勉強を頑張って入学したまではよかったんですけど、勉強よりも音楽を作ることばかりしていたので当然落ちぶれるわけですよ。勉強についていけなくなって、2年生のときにドロップアウトって感じですね。

―高校時代にがっつり音楽にのめりこむくらいなので、やはり小さい頃から音楽に興味があったんですか?
ぼいじゃあ 
実は中学に入学するまで全く興味がなくて(笑)。むかし「ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!」っていうバラエティー番組があったんですよ。それに2人組みのアーティストさんが出演されていて、たった2人の人間がドームクラスの数万人を動かしてる事実に感銘を受けたのが音楽をやりたい思ったきっかけですね。自分もあんな風になりたい、って。あの時バラエティーを見ていなければ、こんなふうにならなかったかも。

―「音楽をやりたい」というのは、歌手としてだったんですか? それともプレイヤーですか?
ぼいじゃあ 
最初の頃は、歌う側でしたね。中学の卒業文集に「将来の夢:歌手」って書きましたもん(笑)。専門学校に入ってからは、歌よりはキーボードにやりたいことがシフトしていきました。

―専門学校卒業後は、どのような活動されていたんですか?
ぼいじゃあ 
実はメジャーデビューしてるんですよ。卒業後いくつかのバンドを掛け持ちしていたんですけど、そのなかのひとつがいい感じに事がすすんで。テレビにも出ましたし、ツアーで全国を回ったり広島でラジオ番組を持ったりしてました。今は解散してしまったんですけどね。

―えぇ、それにしてもすごい! どういう系統の音楽だったんですか?
ぼいじゃあ 
音楽のジャンルとしてはポップ・ロックなんですけど、コミックバンドみたいな感じでした。ステージでネタをやったりとかね。

―バンド内でも作詞作曲をされてたんですか?
ぼいじゃあ 
個人的な作品作りはしてましたけど、バンド内ではしてないですね。ぼくはキーボードを弾くのがメイン。曲づくりはギターのやつがしていました。

―解散にいたった理由ってお伺いしてもいいですか?
ぼいじゃあ 
実はぼく、解散前に抜けてるんですよ。バンドって売れないご時世じゃないですか。その打開策として、ちょうど当時流行り出したニコニコ動画での配信をメンバーに提案したんですけど納得してもらえなくて。その話がきっかけで、方向性の違いがいくところまで行っちゃって抜けることにしました。

―メジャーデビューって、なかなかできる経験じゃないですよね。
ぼいじゃあ 
バンドとしてのメジャーデビューも珍しい経験ではありますけど、バンドをしつついろんなアルバイトをしていたので、その経歴もわりと多岐にわたるかもしれません。

―今までどんなアルバイトをされてきたんですか?
ぼいじゃあ 
スーパーのレジ打ち、コンビニ、コールセンター、ライブハウスの照明・音響、Webプログラミング。あまり声を大にして言えないちょっと特殊な仕事までなんでもやってましたよ。。

―ぼいじゃあさんを語るうえでキーワードとなる“催眠術”も、その経歴のなかで取得したんですか?
ぼいじゃあ 
いえ…。実は、ぼくバツイチなんですよ(笑)。結婚していた期間に、少し気を病んでしまうようなことがあって。そこから心理学に興味を持つ様になったんです。最初は催眠術を信じてなかったんですけど、呑みの席で催眠術を使える人とお会いして。かけてもらったらすんなりかかっちゃったんですよね(笑)。「すごい!」と思って、本を買って勉強を始めました。

―どんな場面で催眠術って使うんですか?
ぼいじゃあ 
ぼくは術師ではないので、話の流れやネタとしてちょっと遊んだりするくらいですかね。

―音楽と催眠術の他に、なにか突き詰めてるものってありますか?
ぼいじゃあ 
なんかあるかな…。趣味はそんなに多くないけど、パソコンは得意ですね。器用貧乏なタイプだと思っているので「絶対にこの人に負けない!」よりは、なんでも人並みよりちょっとできるジェネラリストかなって。だからよく生徒会長みたいな責任者になることが多いんですよ。VALUショートムービーもそんな感じだったしね(笑)。


とある投稿がきっかけで始まったショートムービー『失恋科』

―もともとVALUは、どこで知ったんですか?
ぼいじゃあ 
知り合いのかたがTwitterでVALUについて呟いているのを見て、「これはなんじゃあ」と試しに登録したのが最初ですね。ビットコインの知識も全くなかったし、とりあえず仮想通貨取引所に登録するところから始めました。ぶっちゃけ怪しいっていう気持ちが0だったかというと嘘になりますね(笑)。
審査を通してる間に知り合いにいろいろ話を聞いて、周りのユーザーの様子を見て使い方を覚えました。どういう投稿がVAを買ってもらいやすいのかな、みたいな(笑)。

―順調に売れていきました?
ぼいじゃあ 
そうですね。最初の頃は「こんなに売れるんだ!」って自分でも驚くくらい、いろんな方に買っていただけて。出来高は100を越えていたはずです。

―でも、その裏でもショートムービーの話は進んでたんですもんね。
ぼいじゃあ 
動き出しは2017年の夏頃だったんじゃないかな。もともとは誰かがアクティビティで「これだけクリエイターがいるなら絶対に映像作品も作れるよね」って言ってたのがきっかけなんです。確かにその通りだなと眺めていたんですけど、誰もやる人がいなかったから軽い気持ちで「やりたい人集まれー!」って投稿したのがはじまりでした。そして、抜け出せなくなったタイミングでもありました(笑)。

―すごく本格的なものができあがりましたよね。
ぼいじゃあ 
最初はみんな、もっとラフなものを考えてたんですよ。最初の打ち合わせ時は映画の予告編みたいな作品がいいんじゃないっていう話の規模だったんです。それがミーティングを重ねるうちに、ちょっとずつ話が大きくなっていって、後には引けない感じがしましたね。

―オーディションから何から全部ですもんね。
ぼいじゃあ 
そうですね。VALUユーザーだけで完結できればよかったんですけど、それでは厳しいだろうという話になり芸能事務所さんに声をかけたりもしましたし。小さなこだわりが積み重なって規模がどんどん大きくなっていったというか。

―ショートムービー作りの中で楽しかったことってありますか?
ぼいじゃあ 
作品が出来上がっていく様子を見ているのは単純に楽しかったですよ。オーディションで選ぶ側に立つなんてこともやったことなかったし、それも新しい経験でしたね。

―普段関わる友人とも違うし、たまたま出会った人たちと作るわけじゃないですか。コミュニケーションなどで問題はありませんでしたか?
ぼいじゃあ 
難しいってことはなかったですね。作品をよくするためにぶつかることはもちろんありましたけど、それが難しいといわれればそうじゃないかなって。仕事やプライベートとの両立が大変で気が重いことは正直ありましたけどね(笑)。

―これまでの多彩な経験で培われたコミュニケーション力が個性的なメンバーをまとめることに役立ったのかもしれませんね。
ぼいじゃあ 
気がつかなかったけど、それはあるかもしれません。みんなの熱量が高かったからこそ、言い方がキツくなってしまい雰囲気が悪くなったり、コミュニケーションがうまくいかない場面もあったので、そこは間に入って、制作がスムーズに進むよう立ち回るようにしていました。

―では最後に、これからの展望について教えてください。
ぼいじゃあ 
VALUに関しては、正直ショートムービーが終わって燃えつきてしまっている部分があるので、無理なく続けられる自分のペースをつかんでいけたらなって思ってます。
他にも、ブログとかも頑張っていきたいし、また機会があったらユーザー同士で何か面白いことができたらなって思ってます。


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