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大阪を「知る」旅―②街に息づくレトロな建物群―

大阪2日目。目的地は万博記念公園にある国立民族学博物館である。しかし、その前に大阪に点在するレトロな建築物や適塾へ行くことにした。

朝、宿の近くにある三休橋筋付近に点在する古い建物を見に行く。前日夜にこの地域を紹介する広告が地下通路にあったのを見かけたのだ。面白そうであったので、朝の散歩がてら三休橋筋へ行き、その流れで適塾の建物を見学してから、万博記念公園へ向かうことにしたのだ。

三休橋筋に残る古い建物はどれもオフィスや教会等の目的で今も使われている。東京にもこの手の建物は残っているが、大阪の方が多く残っているようにも見える。古くない建物であっても、次々と新しい建物に変わっていく現代において、古い建物を大切に使い続けているところが多い地域も珍しいのではないだろうか。実際、古い建物は三休橋筋に限らず、堺筋の方面にも多くあった。

近代のガラス張りの高層建築にはない重厚感を持ったオールディーズな建物で彩る街並みは、時代の変化に翻弄されゆく人々の心に落着きを与えてくれる。何でもかんでも変化させる必要はない。必要なところだけ変化させていけば良い。まるで、街並みがそう言っているかのようであった。

三休橋筋を梅田方面に向かっていくと栴檀木橋が終着点となり、中之島に出る。目の前には大阪市中央公会堂(中之島公会堂)がある。赤いレンガを身にまとった姿、そして外観のデザインはどことなく東京駅を忍ばせる。道を両脇に抱えるように島の真ん中に建てられた公会堂は、1世紀以上にわたって大阪のシンボルとして存在し続けてきた。それはこれから先も変わらない。三休橋筋に建ち並ぶ古い建物と同様に、大阪の歴史を今に繋ぎ、そして、より良い大阪の形を未来へと導くシンボル、それが中之島公会堂なのだろう。

10時になった。適塾へ向かう。私が知っている適塾と言えば、緒方洪庵が設立したこと、福沢諭吉をはじめとする江戸末期から明治期に活躍した人物を多く輩出したこと、そのくらいである。まったく知らないと言っても良い。レトロな建物を見学しがてら、適塾の一端を知ろう。そのような目的で訪れた。

入館すると、受付の方から天井と階段に注意するよう言われた。その時は造りが旧家だからだろう、そのくらいの感覚であった。しかし、実際に回ってみると、少々驚かされた。階段があまりにも急なのだ。階段一段分で一般的な階段の2,3段はある。手で測る範囲でいえば、高さは35cmから40cmほどあるだろう。ほんの数段で2階へ到達できる。旧家の階段なので、当然踏み幅は狭い。そして、その階段途中の天井は部屋の境目よりも低い。今までの人生で登った階段の中でも最も衝撃的な階段の1つだ。それでいながら、案外昇り降りしにくいことはないのが、また不思議であった。

館内を見て回る。2階には適塾生の学習環境が紹介されていた。オランダ語の辞書は塾生間で共有するものが1冊しかない。必然的にその辞書の周りに皆が集まり、学習する。そこには強烈なライバル関係と同時に、協力し合う関係も築かれたであろう。よくよく思えば、1人1冊のテキストがある環境は、必ずしも良い学習環境とは言い切れないのかもしれない。物事はメリット・デメリットの両面があり、基本的にはトントン。いかにメリットを大きくできるような運用ができるかどうかがカギ、そういうことなのかもしれない、思わせてくれる。

その適塾の2階が賑やかだった頃からすでに150年以上が経過した。その活気が生み出し、発展させた大阪の街。その一端が残るのが、今回辿った地域に点在する古い建物と言っても良いかもしれない。こういう歴史が残る街はやはり良い。

中之島から栴檀木橋を臨む

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