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塔新人賞を読んで

近江瞬氏がこのたび「句読点」という30首連作で塔の新人賞を受賞されました。まことにおめでとうございます!

近江さんといつどこで何をきっかけに仲良くなったのか思い出せないのですがいつも大変お世話になっています。ご本人から作品を見せていただく機会がありましたので数首を引いて感想を、そして連作全体の感想を一読者の主観丸出しで書いてみようと思います。(私は南関東住まいで震災の大きな影響を受けた身ではないため、見当違いの読みをしているかもしれません。)

石巻で新聞記者をされている近江さんならではの東日本大震災にまつわる連作です。

雨降れば傘開くのみ原因と結果は結果が後にしか来ず

傘を開いたら雨が降るだろうか。そんなことはない。降っちゃっているから仕方なくさすのだ。なにごとも事象がまずあり、それへの対応として行動を起こす。地震だってそうだ。地層のズレ・活動の結果としての地震だった。

いや?本当にそうだろうか。傘の場合は一週間そのまま開いて待っていればたぶん降る。全世界に適用できるルールではない気がしてくる!

「そりゃそうだ」と思わせておきながら一転して疑いを持たせるとても哲学的な一首。


あの時は東京で学生をしてましたと言えば突然遠ざけられて

連作のなかで最も心をえぐられた一首。ウチとソトのどちらでもない立場の危うさ、身軽さ。さっきまで親しく会話していた人とのあいだに突然生まれる壁。

震災を体験した人たち同士でしか分かり合えないこともたくさんあるだろう。だけど知らないからこそ突っ込めることもある。連作を通してビシビシと感じる復興への皮肉めいた視線は半分当事者半分よそ者そして記者だからこそ見えている景色だと思った。


僕だけが目を開けている黙祷の一分間で写す寒空

これも記者だからこその一首。取材するんだから黙祷には参加できない。みなが黙祷する様子をカメラにおさめたりメモに残したりしているその一分間、自分だけが独占している空のこと。その空はみなが黙祷する前の空と何が違うんだろう。


仮設から復興住宅へと移る壁の厚さをさみしさと呼ぶ

恥ずかしながら仮設住宅と復興住宅の違いを知らなくて調べました。仮設住宅はテレビで何度も目にしたプレハブ。空き地などにずらーーーっと並べられた長屋状のものだそうです。対する復興住宅は団地のような佇まいの数階建ての住宅。

造りが違う。壁の厚さも本当に違う。隣の物音があまり気にならなくなった復興住宅の壁を「さみしさ」とする。以前は「被災者のみなさん」というひとくくりの集団のように扱われていた住まいを失った人たちは厚い壁でプライバシーを得た代わりにほどけていってしまう。集団から個へ変わるさまを「さみしさ」と呼ぶ。これを順調な復興とみなしてよいのだろうか、悶々とする。


<連作を通して感じたこと>

近江さんは「震災当日東京にいてナマでその瞬間をその日々を体験しなかったこと」と「その後Uターンして新聞記者となり震災八年目の地域の復興状況を追いかけ続けていること」の間で静かに葛藤しているのではないでしょうか。

でもそのどっちつかずの立場だからこそ見える現状もあるわけで、この連作はその立場を最大限に「利用」した冷静きわまりない作品であると思いました。過度な喜怒哀楽を含ませずに淡々と、淡々と詠んだ30首。読者を涙ぐませるようなパンチのある言葉は使用せず、あくまでも日常のひとコマを記者という肩書きを持った住民としての目で見ておられます。

30首の中に特別にドラマチックなことは起きません。復興って何がどうなればゴールなんだっけ?という誰にも正解がわからないことを静かに突きつけてきます。

拙い感想をお読みいただきありがとうございました。『塔7月号』を入手できる方はぜひ「句読点」を読んでみてください。ドリームやワンダーに満ちた短歌でなくても、普通の言葉で普通を描いて賞を勝ち取った近江さんのただごと歌のセンスを感じてみてください。

近江さん、このたびは本当におめでとうございました。ますますのご活躍を~!石巻を中心ににぎわっている短歌部カプカプの活動もラジオ番組「たんたか短歌」も全力応援しております!